sugar spot
「…なに、?」
咄嗟に意図せず手に与えられた熱に、声が掠れた。
当然のように閉まるドアのせいで、私と後ろに立つ男の2人きりの空間が完成されてしまった。
「……降りるんじゃ、無かったの?」
「………、」
懸命に沈黙を掻き消すように尋ねているのに、お構いなしに無視してくる腹の立つ男は、そのまま私の手を引いて、いとも容易く身体を反転させてくる。
とん、と背中に優しい衝撃を感じた時には、ボタン近くの壁に追いやられていた。
やばい、まずい、今この感じで、この距離感は。
元々そんなに持ち合わせて無い恋愛に関するキャパシティが完全にオーバーしてしまう。
少し屈んで、無理やり視線を合わせてくる男の相変わらず形の良い瞳の右側に、涙袋のホクロを見つける。
それがあっさりと確かめられるくらいには、
距離が近い。
その認識はまた顔の赤みを連れてきてしまうので、必死に顔を背けようとしたら、それを阻止するように「梨木」と呼ばれた。
「な、なに。」
「…お前、今週オフィスに居なさすぎ。」
「は?」
元々鋭い目元なのに、ちょっと釣り上げるからより一層切るような眼差しに変わる。
「毎日どこをほっつき歩いてんの。」
非難の目を向けられて、言葉を理解したら自分の眉間もぎゅっと寄った。
「…ほ、ほっつき歩いてないし。
必死に営業先への外回りしてるんですけど。」
何も間違っていない解答をしたら、「ふうん」と感情のこもっていない返事を受ける。なんだそれ。
と、いうか。
「……近い、」
「まあ近づいてるから。」
「はあ?」
サラリと宣った男は、繋がれた手に力を込めてきて、顔の火照りも、この狭い空間では上手く逃がせない。返事をするのが精一杯だ。
「…っ、なんか、話でもあるの…?」
この空気に耐えられなくて、話題を変えるように尋ねたら声のボリュームだけが自ずと大きくなった。
そうじゃなきゃ、この男がエレベーターで今しがた上がってきたくせに、また私と一緒に降りてる理由が分からない。
「…"ちゃんと"話題なんか無くても
良いんじゃなかったっけ。」
「…え。」
___"…何か、いつも、"ちゃんと"話題が無いと、
私とあんたは話をしたら駄目なの。"
あの日、そう言ったのは確かに私の方だ。
「…い、良いけど、」
それは別に、構わないけど、なんでこんな態々、
密室を選ぶのか分からない。
鉢合わせたのも偶然のことだったし。
もしかして、
「ありさと、」
「何。」
「……すごく暇だったの?」
「お前の思考回路、なんでそんな馬鹿なの?」
「………」
目の前の綺麗なこの顔、
ぶん殴っても良いのだろうか。
はあ、と溜息を漏らす男の考えてることが、
全然分からない。
「俺も割と外回り出てんだよ。暇じゃ無い。」
「し、知ってるし。
そっちこそいつも全然オフィスに居ない。」
だからこっちはモヤモヤしていたのだと、そこに突き動かされてポロっと漏れた言葉。
あ、やばい。
これは、まるで。
いつも"この男が居るかどうか"確認していたと、
自分で告白してるようなものだ。