sugar spot
「…え、なんで。」
「お前こそ何で先帰るんだよ。」
長い脚の男は1つ溜息を夜に落としてあっさり近づき、私が持っているレジ袋を自分の手に収める。
「残業かなと思って…」
「光の速さで退勤するから口挟む暇もなかった。」
「……」
それはだって、一刻も早く先に帰って料理の支度をして、この男をちゃんと出迎えたかったからだ。
言えないけど。
初っ端から、予定が狂ってしまった。
顰めっ面の険しさを帯びた顔になった私を覗き込んだ男は、「なんか不満そう」と呟きつつ、私と同じような表情になっている。
「……そんなことないです。」
「お前、嘘下手。」
「だって、こう、シミュレーションしてたから。」
「なんの。」
「………」
「花緒。」
マンションまでの帰り道は、スーパーから少し離れると、規則的に立ち並ぶ街灯が照らすだけの静かで暗い空間に直ぐ変わる。
隣歩いていた男は、一歩前に出て私と向き合う姿勢をつくり、名前を呼んできた。
恐る恐る見上げてもいつものような能面は変わらないのに、指先で頬を擽ってくるその動作は、どうしても優しく感じてしまうし、素直な気持ちを私から引き摺り出す。
「…お祝いを、したくて。」
「?」
「コンペ、勝ったんでしょ。
……チケット駄目だったから、せめてなんか家で振る舞おうと思って。」
夜風はまだまだ冷たい筈なのに、私とこの男の間をすり抜けるそれが何も意味をなさないくらいに、顔が熱い。
「……それで好きな料理聞いてきた?」
「そ、そうだよ。
急いでオムライス準備しようとしてたのに。」
口を尖らせてぽつり呟いた言葉の後、ふ、と息が溢れる音が聞こえた。
もう一度視線を合わせたら、目の前の瞳が微かに緩まっている。
「俺も退勤して、急いでここに来た。」
「…なんで?」
「明日仕事だと思ったら、そんなに時間無いから。」
「じかん?」
その3文字すら、最後まで尋ね終えられたかよく分からない。
陰であっという間に視界が暗くなったと気づいた時には、唇を掠めるくらいの短さで触れられて。
「…こういうことする時間。」
どこかぎこちなく告げて、手を取る男の瞳の熱にドキリと鼓動が大きく打たれた。