sugar spot
「じゃあ、お先に。」
「え〜!梨木、ほんとに全然揺るがないじゃん!」
「ごめんね。
奈憂、また私の推し曲だけを
聴かせるカラオケ連れて行くね。」
「なんでよ、嫌だよ。」
「即答された。」
否定されても尚、楽しそうに笑った女は「また来週も頑張ろうね」と、既にワイヤレスイヤホンを取り出しながら颯爽と駅の方へ去っていく。
その時のからっとした笑顔がやけに清々しくて、次に抱いた印象として、悪いものは何も無かった。
『大丈夫。絶対に惚れない。
あのボーカルを超えること、絶対無いから。』
やけに、言い切ってた。
そんなに好きなのか。
「あ、穂高!お前は2次会行く?」
そこまでを胸で考えていると、漸く俺に気づいた長濱に、そう声をかけられる。
「…いや、俺は、」
「ええええお前も帰るの!?
ほらお前の好きなバンドの歌、俺歌うよ?!」
「………、」
『へえー!穂高こういうの聴くの!』
確か、研修の休憩中、この男に突然イヤホンを片方奪われて俺が聴いている曲を勝手に知られたことがある。
大体プレイリストはいつも、とあるバンドのもので埋まっていて、それはこの研修中、特に顕著だった。
ハードな生活の中で自らごく自然に選んでしまう音楽が、とても自分の中で存在の大きいものだと自覚はしている。
でも、確かに。
「…別に、お前に歌われたくは無いな。」
「ひど!!!
梨木と言い、穂高と言い、みんなツレない!」
騒ぐ男に少しだけ笑いつつ、先程のあの女の言葉を勝手に納得してしまった。
昔からずっと好きで、1人静かに追いかけているバンドが俺にも居る。
あまりメディア露出は無いけど今や人気の高い彼らのことを、誰かと分かち合いたいとかそういうことはあまり考えたことが無い。
ただ、ずっと大事にしている。
「アーリ…、有里も好きなバンドが居るの?」
俺と長濱の会話を聴いていた女が、意外そうに尋ねてきた。
きちんと話をするのは初めてかもしれない。
「なんだっけ!ほら最近、化粧品のCMに使われてる曲とかも歌ってる!國立《くにたち》 志麻《しま》出てるやつ。
…つか國立 志麻、くそ可愛いよなあ。
結婚したけど。つら。」
話が冒頭から既に逸れ出した長濱に溜息を漏らしながら、タイアップしてるのは確かなので曖昧に頷くと目の前から痛いほどの視線を感じる。
「…何?」
「有里、来週の研修。
花緒の隣に、座ってみたら?」
ふわっと笑って提案された言葉を咀嚼して、首を傾げる。
何で急に。
顰めた表情で俺の疑問を察したのか、
「絶対、そうした方が良いよ??
花緒と話してみてよ。」
「……急すぎてよく分からない。
それに、俺とは合わないと思うけど。」
社交性に溢れた雰囲気の女は、俺とは全く違うと、何となく自分でも分かる。
「花緒は確かに、凄く元気な第一印象与えると思うけど。
別に飲み会も得意じゃ無いし、割と緊張しやすい普通の子だよ。」
「…飲み会、得意じゃ無い?」
「うん。お酒ゲキヨワ。」
「は?」
今日、一次会で楽しそうにジョッキを持っていなかっただろうか。
更に眉根を寄せた俺に
「そっか、今日席遠かったもんね。
楽しそうにみんなと飲んでたように見えたかもだけど、あれ、ずっとグレープフルーツジュースね。
何回も注文するの恥ずかしいから、ジョッキで頼んでた。」
くすくす笑いながら芦野から告げられた種明かしは、あまりに意外で。
今日最後に見た笑顔を、やけに鮮明にもう一度思い出した。