sugar spot


◻︎


「梨木ちゃん、疲れてない?」

「全然大丈夫です、ちひろさんこそ次のクライアント用の資料持ってくるので座っててください!」

「…梨木 花緒、ええ後輩だなあ。」


お言葉に甘えよう、と微笑む彼女に釣られて私も笑って。ブース裏に沢山用意されている資料を取りに走りつつ、確かに昨日から蓄積している疲労を感じてはいる。

ビラ配りでは声も出すからちょっと枯れてきているし、何せ立ちっぱなしで会場を歩き回るから肉体的な疲れは確実に感じる。



「私はこの夏より企画部に異動になりました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

ただ、後任の梨木はとにかく直向きに頑張る人間なので、私も勿論出来る限りサポートはしていきますが、どうぞよろしくお願いします。」


ちひろさんは、午前中だけでもう何人ものクライアントに改めて私のことを紹介してくれた。

「堅いよ」って笑われても、やっぱり私は
あの人の恩に報いなければならない。



資料を確認しつつ再びブースに戻ると、ちひろさんは既に新しい誰かと話を始めていた。

近づく私に気づいて手招き「ご紹介させてください」と、スーツ姿の男性に言う。


「異動した私に代わって、色々と引継ぎを受けて頑張ってくれている営業部1年目の梨木です。」

「は、初めまして、梨木と申します。
よろしくお願いします。」


慌てて名刺を差し出すと、「頂戴します」と固い声で言われながらも受け取ってくれた。

強面で眉間の皺が深い男性のオーラに一瞬押し負けそうになったけど、それに気づいたのか、ちひろさんが

「△社の松奈《まつな》さん。
以前、オフィスの移転を
うちで任せていただいたんだよ。」

「…初めまして、松奈です。」

アシストをしてくれたのと同時に、表情は特に変わらないけど、名刺をちゃんと渡してくれた。

その様子を見守ったちひろさんがやけに嬉しそうにしていて、松奈さんは何処か居心地が悪そうな顔つきに変わったのが、印象に残った。




◻︎


「…名刺を貰えなかった?」

「そう。丁度1年前の展示会でね、こうやってブースで説明したけど松奈さんに、"女性の営業担当の方は不安です"って、突っぱねられた。」

「……、」

午前と午後の間の交代を前に2人で水分補給をしている時、彼女は明るく語ってくれる。
ちひろさんは、この後はオフィスに戻るというハードスケジュールだ。



「悔しいし、跳ね除けられたことへの怖さもあったし、どうしようって悩んだけど。
やっぱり、同期や他の会社の神様や天使が助けてくれて、なんとか彼と関係を築いていった感じかなあ。

だから今日、なんか梨木ちゃんと名刺交換してるの見て嬉しくなった。」


葡萄ジュースを飲みながら、綺麗に微笑むちひろさんを見ていたら、自分の胸に抱いた感情の黒い部分が余計、汚く浮き彫りになった気がした。



"私"はやっぱり、この人にいつも頼りっぱなしだ。

誰かとの仕事のスタートから、
ちひろさんのやってきた功績に
支えられて、甘えている。



「松奈さんのいるオフィスとは別の支店でも、リニューアル考えてるらしいから。
何かうちとの仕事に繋がると良いね。」

「…ちひろさん。」

「ん?」

「また後日、△社さんとの交渉経緯とか、ちひろさんの動き方とか、色々資料の共有していただけませんか。」

「……それは全然構わないけど。
でも、もし窓口が向こうにもいるとしても、それは松奈さんじゃないよ?」

「はい。でも、やっぱりちひろさんのされてたこと、ちゃんと知りたいので。」

「分かった。」



快諾してくれた彼女に、私も安堵の笑みを見せると、

「梨木ちゃん。私オフィス近くでまた行きたい外ランチのお店見つけたから、今度行こう。超絶シブい店。」

「…どうしてそんな新しいお店を
直ぐ見つけられるんですか。」

「ガチ勢なので。」

本当に彼女が見つけてくるのは渋いお店が多いんだよなあと思うと、私もペットボトル片手にふと、笑ってしまった。


「あとなんかあったら、
いつでもランチの招集かけてね。」

「…ちひろさん、お忙しいですよね?」

「後輩からの要請に答えられない
先輩にはなりたくありません。」


あとたまに息抜きさせて、とやっぱりあどけなく微笑むこの人は、素敵だと純粋に思う。


わかりました、と答えようとした時だった。


「枡川、梨木っち!!大変だ〜!!」

「古淵うるさいよ。」

とても大きな声で名前を呼ばれ、慌てて振り返ると瞳を潤ませた古淵さんがダサいTシャツを着て立っていた。
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