40歳88キロの私が、クールな天才医師と最高の溺愛家族を作るまで
氷室さんが私を連れてきたのは、住宅街にある小さいけれど、上品な料理屋さん。
普通の一軒家に見えるが、扉を開けると、まるで古き良き旅館に来たかのような雰囲気を醸し出した。
綺麗な着物を身につけた女性が、私たちを迎えてくれた。

「いらっしゃいませ、氷室様」

案内されたのは、2人きりで料理を楽しむために作られた、ほんの少しだけ狭い個室。
一輪の生花が、テーブルの上を可愛く彩っている。
そのテーブルを挟んで、氷室さんと私は向かい合って座っている。
氷室さんが扉側で、私は奥側。
逃げ場が……無かった。

「飲み物どうします?」
「え?」
「食事はコースを頼みましたが、飲み物は別で頼むことになっているので」
「氷室さんは?」
「もう決めました」
「そ、そうですか……」

ラインナップされているお酒は、通常の居酒屋さんでは見られないものばかり。
心惹かれるものの、氷室さんの前で酔い潰れるのだけは……絶対嫌だ。

「烏龍茶を……」
「お酒は飲まなくて良いんですか?」
「大丈夫です!ここから家まで遠いですし」
「そうですか」
「は、はい…………」

(か、会話……どうしよう……)

タクシーの中でも、氷室さんも私も、何も話さなかった。
何となく、気まずかったから。
そして今も、それを引きずっているので、どうしていいか分からない。
せめて氷室さんから何か話してくれるのであれば、まだ返答するだけで済むのに、氷室さんはさっきからとても難しい顔をしている。

(……不機嫌そう……?)

私は、氷室さんと目を合わせないように、個室の中を観察した。
一目見ただけでも、質が良いと分かる数々のインテリアが、この店の値段感を伝えてくる。

(どうしよう……高いよね、この店……。それより氷室さん、いつの間にこんなお店を……)

そうだ。
この内容なら会話できるのでは……?

「氷室さん、この店」

と私が話しかけると同時に、氷室さんがいつもよりずっと低い声でこう言った。

「どうして、俺に黙って1人で帰ろうとしたんですか?」
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