地下一階の小宇宙〜店主(仮)と厄介な人達
創太郎の昼食後、ネルドリップやコーヒー豆の挽き方の特訓などを再開し、また珈琲とにらめっこする時間がしばし続いた。


しばらくすると、店のドアベルが来客を知らせた。


「 あれ? やってる?」



佳乃はどこかで、今日は誰も来ないだろうと勝手に思っていたので、実際に客が来店して少し驚いた。



ーーーあ、えっと、なんて言うんだっけ!



思いの外テンパった佳乃は、
客が来たときの基本的な挨拶が出てこない。



「お! いらっしゃい! ゴローさん、待ってたよ」



ーーー あ! そっか!



「いっ! いらっしゃいませ!!」



湯の入った珈琲ポットを持ったまま、背筋をピンと伸ばして佳乃が威勢良く言った。



ーーー 人生初の"いらっしゃいませ"かも…




「あ〜! もしかして、例の姪っ子ちゃん?!」



小柄な60代くらいの、人の良さそうな笑顔が印象的なおじさんだ。




「うん、今日から来てんだ。」



そう言って創太郎が佳乃の方に少し顎を向けたので、慌てて挨拶をする。



「あ、相田佳乃と申しますっ!
25歳です!
叔父が大変お世話になってます!!」



バッと頭を下げると、ほがらかな笑い声がした。



「あははは、初々しくてかわいいお嬢さんだなぁー! 
よろしくねー、僕はね、ゴローって言いまーす。 ただの客ですー。」




ゴローさんは慣れた風にカウンターの端に腰掛ける。


「ゴローさんはさっき言ってた常連さんで、 ほぼ毎日来てるからアンカサの事は大概何でも知ってるぞー!」


「そうなんですか、ご迷惑おかけすると思いますが、どうぞよろしくおねがいします」



来店してからずっとにこにこしているゴローさんに、佳乃はもう一度頭を下げた。

「いやいや! 僕はただの客だから。
それにしても、 へぇー、とても叔父と姪で血が繋がってるとは思えないよねぇ。」



ゴローは佳乃と創太郎を見比べているが、実際見えているのは見た目ではなく"中身"の方だろう。



「ハハ… 繋がってるんですー。  
  …残念ながら…」



そんな話はまるで耳に入って無いかの様に、創太郎は棚から新しい珈琲用具を取り出している。



「なになに? 珈琲の練習してたの? 
じゃあ今日は、佳乃ちゃんが一杯淹れてよ」



ゴローがにこにこと佳乃の手元を覗いて言った。



「えっ!!いやいやいや!
私はまだまだ今日始めたばかりで、とてもお客様にお出しできるような珈琲ではないんですっ!」



「うん! でもそう言う佳乃ちゃんが初めてお客に淹れる、初々しい珈琲が飲みたいの、僕は。」



「えー…」



どうしよう、どうにかしてよ、と言う思いを込めて創太郎を見上げるが、そんな空気を汲んでくれる叔父ではない。



「おお!いいじゃないの、やってみやってみ。 」



そうあっけらかんと言われ、げんなりした気持ちで創太郎を一瞥した。



ーー うぅ〜!緊張するのにぃー!


「じゃ、じゃあ… 」 



不安しかないが、ここでしつこく断り続けられる雰囲気でもないので、おとなしくチャレンジする事にした。




「あの…  たいへんやりづらいんですが…  」




その "初めての一杯" は、終始二人に前かがみで凝視されながら淹れるという、なんとも羞恥プレイなデビューとなったのだ。


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