地下一階の小宇宙〜店主(仮)と厄介な人達
老婆のそのさんの大きなかばんを病院の受付に預け、自分は教えられた母の病室へと向かう。

「  …あれ?   あなたこの間の… 」


なぜかこちらへ来かけたまま停止した様な海星の姿を見て、女は目を丸く見開いた。


どう立て直していいのか一瞬真っ白になった海星は、ゴホンと一つ咳払いをして、不自然に何事もなかったかの様にポケットに手を突っ込んで眉間にシワを寄せた。



「は? …ああ、お前あの喫茶店の奴か。

危なっかしい二人組がコケたから焦っただけだ…」


なんとも微妙なセリフだが、この場ではもうこれ以上の案は生まれまい…。


「あ! おばあちゃん、大丈夫?ごめんね! 足とかグキッてなったりしてない?」

「な〜んも無い! 
私なんかよりよしのちゃん大丈夫かい? 
こんな重たい荷物背負わせて申し訳無いよねぇ」


"よしの" と呼ばれた女は、一度下ろした二人分の重たい荷物を再度肩に持ち直した。



「大丈夫大丈夫! 昔は怪力のよしのって呼ばれてたから! 気にしないで?」


どんな年寄も懐柔してしまいそうな笑顔で笑ってみせる。


「もうすぐだから私一人でちんたら行くのに… 」


「そんなこと言わないで、そのさん! 
ここまで来たんだし、せっかくだから付き合わせてね」



よいしょっと立ち上がるよしのの肩にズシリとかばんの持ち手が食い込む。



老婆の"そのさん"の手を取って、もう一度足を踏み出そうとしたよしのの肩から、その重みがぐいっと引き離された。


「 え…? 」




「   …どこまで行くの、  ばあちゃん 」


海星がその大きなかばんを肩にひょいと担いだ。


ぶっきらぼうに尋ねられて、そのさんは一瞬ポカンとしたが、すぐに持ち直し答える。


「 日野原総合病院まで…  」


「やっぱ同じかよ…  

ばあちゃんのかばんは俺が持ってって病院の受付に預けとくから…。 
…これ、 入院の?」


目線をそのさんの大きくパンパンのかばんに向けた。


「…っあぁ、そうだよ、うちの人が急に入院になってねぇ…。
私しか居ないから、あれやこれやって、必要なものって結構たくさんあるんだねぇ。

これくらい大丈夫かと思ってタクシー代けちったら、途中で歩けなくなってねぇ。 
ほんと、ご迷惑かけたねぇ」


そのさんは本当に申し訳無さそうに背中を丸めた。


「大丈夫だよ、そのさん!
私すっごく暇だったから散歩したかったんだ! 
話し相手になってくれて、逆にありがとね?」


よしのがそのさんの背中を擦りながら顔を覗き込む。


「 おい。  お前ばあちゃんとゆっくり来い。 
荷物は預けとっから。 」



「え、ちょっと!」


早歩きで倒れたマウンテンバイクまで戻り、軽快なスピードであっという間に遠くまで行ってしまった。



「あらあら、あの子も荷物があるのにねぇ…。

大きなかばん2個も背負わせちゃって、、申し訳無いねぇ…」



「   …そうね… 」



もうとっくにカーブの向こうに消えていった影を、二人はしばらく見つめていた。

海星の気分が少し晴れ晴れしているのは、亀移動後の軽快な自転車のせいだけではないだろう。



病室の前に着いて、少しだけためらって中へ入る。


静かな引き戸を開け四人部屋の中を遠慮がちに進むと、奥の窓際が母のベッドだった。


小さくため息をついてカーテンを軽く引く。


「 …! あら、 来てくれたの。
わざわざごめんね」


文庫本を読んでいた母と視線が合った。
目を合わせるのは久しぶりだったんだな、とそこでふいに気づいた。


「  これ、どこ置けばいい? 」


こじんまりとしたボストンバッグを上に持ち上げて見せる。
そのさんの旦那さんの入院用品の方がよっぽど大荷物だ。


「あぁ、そこの上に置いといて。 

ありがとう。
もう、ほんとに大したことないのに。 
…元気なのに入院なんて暇ね。」


棚に置かれたボストンバッグを見ながらため息混じりに呟く。


「大したことあるから入院なんだろ。 
大人しくしとけ」


昔は健康的な美人だったのに、豆屋を開いてから母は痩せて骨ばり、一気に老け込んだ気がする。
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