探偵日記
第1話『 18年目の、ごめんなさい 』1、手紙
『 実は、随分前に家出した息子を探して欲しいのですが…… 』
人には、様々な思考・行動があり、希望がある。
成り行きにより、自分では想像もしていなかった事態に遭遇し、その後の生活が翻弄される場合もあるだろう。
自らが望む道と、そうでない人生……
今回の対象者である人物もまた然り、だ。 家出に至る理由は、どんな経緯があったのか……
年配の女性と思われる声は、どことなく遠慮がちだった。 おそらく、長年に亘って心の気掛かりだった事に対し、意を決して電話して来たのだろう。
『 あの… 行き先などに、つながりそうな手掛りは、全くないのですが…… 』
葉山は、受話器の向こうから聞こえる、蚊の鳴くような弱々しい声に答えた。
「 構いませんよ。 まずは、家出に至る経緯などについて、詳しくお話しを窺いましょう。 失踪先のヒントは、よくその辺りに隠れていますから 」
『 有難うございます。 では… 私共の自宅まで、おいで頂けますでしょうか? 私、なにぶんに、足が悪うございまして 』
面談の場として、自宅を選ぶ依頼者はあまりいない。 ほとんどの場合、最寄の喫茶店である。 自宅を探偵に教える依頼者は、まず『 安全 』と見て良いだろう。 真剣に悩んでいる依頼者であり、契約にまで至る可能性が非常に高い。
葉山は、夫人から住所を聞き、来訪する予定時間を告げると電話を切った。
「 行方調査か…… 」
近年、増加傾向にある案件である。
不況と共に、行方調査は増えて行く。 それは金銭がらみの失踪が増える事を示唆しており、『 逃亡 』とも言える。 いわゆる『 夜逃げ 』だ。 会社絡みの場合、負債額は高額になるのが常だ。 対象者が国外に逃亡している場合もあり、調査は困難を極める。 調査費用も膨大に掛かる為、調査が打ち切りになる事もしばしばだ。 もしくは、自殺している場合も…
今回の案件は、金銭関係のもつれではないようだ。
( 崩れた人間関係の末路は、もう見たくないな )
だが、依頼される調査案件のほとんどは、そんな因果にまみれている……
葉山は、小さなため息をつくと、事務所にしているワンルームマンションを出た。
市内の閑静な住宅街に、依頼人の自宅はあった。
「 粗茶でございますが… 」
茶托に乗って出されて来た湯飲みは、市販されているものとは趣が違い、明らかに来客用のそれと分かるものだった。 茶は、薄く緑色に濁っており、抹茶仕立てのようだ。 通された部屋は6畳間の和室。 客間として使っているらしく、生活感がなかった。
( 上流… とまではいかないにしろ、それなりの生活水準か…… )
調査には金が掛かる。 特に行方調査は、地道な聞き込みを必要とし、調査期間も長くなる場合が多い。 当然、費用も増える……
依頼人の足元を見るようで嫌だが、葉山は、依頼人に、それなりの調査費用が捻出できる家庭か否か、を前もって推察していた。 最低限の金額が用意出来なければ、満足な調査は出来ないからである。
和室机に、葉山と対面で座った夫人。 その横に、40代と思われる女性が座っていた。
「 初めまして、葉山です。 今回はアクセス頂き、有難うございました 」
葉山が夫人に挨拶をすると、その女性が言った。
「 探偵さんが来る、って聞いたんで、どんな人が来るのかなと思ってたんですけど… ナンで、作業着なんですか? 」
葉山は、薄いベージュの作業着を着ていた。
湯飲みを持ちながら、葉山が答える。
「 この方が、ご近所に怪しまれないでしょう? スーツでも良かったんですが、銀行員と思われると、ご都合が悪い依頼人の方もみえますので 」
女性は、葉山の胸辺りに付いている名札を覗き込みながら言った。
「 葉山住器サービス 営業1課… それ、ホンモノ? 」
「 まさか 」
住宅リフォーム業者を装うのが、一番良い。 葉山は、依頼人の自宅へ赴く時、たいていは作業着を着て出掛けていた。
夫人が、女性をたしなめた。
「 沙織、お喋りが過ぎるわよ? 葉山さん、お忙しいんだから 」
葉山は、笑いながら言った。
「 あ、お構いなく。 娘さん… ですか? 」
「 ええ。 嫁いで隣に住んでいるんですが、昼間は、この実家に入り浸りで… 」
女性は正座を正すと、頭を下げて挨拶をした。
「 姉の沙織です。 この度は、弟の一樹を探して頂けるそうで。 宜しくお願いしますね 」
ハキハキした口調。 仕草からも、上品さがうかがえる。
( 姉弟間でのトラブルは、無かったようだな )
葉山は早速、夫人から聞き取りを開始した。
対象者の氏名は『 中島 一樹 』。 失踪したのは、今から18年前。 当時、22歳。 高校を卒業後、定職に就かず、フリーターをしていたらしい。 父親は、対象者が中学の時、ガンで亡くなっていた。 夫人が、女手ひとつで育てた訳だが、フリーターである一樹氏とは、事あるごとに口論をしていたとの事である。 失踪の要因は、この辺りだろう。
夫人が言った。
「 あの日も、バイトから帰って来た一樹と口論しまして… 家を飛び出して行ったまま、それっきりなんです 」
手帳にメモを取りながら、葉山は尋ねた。
「 それまで、家出をされた事は? 」
「 ありません。 元々、大人しい子でして… でも、反抗期って言うんでしょうか。 高校に入った頃から、口答えするようになりまして…… 」
沙織と言う姉が、会話に入って来て言った。
「 お母さん、カズ君に厳し過ぎよ。 男の子なんだから、もっと自由にさせてあげればよかったのに 」
「 そんな事言っても、おまえ… 」
葉山が尋ねる。
「 友人の連絡先のリストなど、ありませんでしょうか? 」
夫人が、姉に言った。
「 沙織、居間にあるアルバムに、書き出した紙が挟んであるから、持って来てくれる? 」
「 分かった。 ハガキも? 」
「 そうね。 お願い 」
葉山に向き直ると、夫人は続けた。
「 実は… 時々、ハガキが届くんです 」
「 一樹さんから? 」
「 ええ 」
…これは意外だった。 対象者は、自分の健在を知らせている。
姉が、友人の連絡先リストと共に、15~6枚のハガキを持って来た。 消印は、浜松・横須賀・鎌倉・東京都内と、まちまちである。 各地を転々としているのだろうか。 ハガキに書いてある文面は、元気にしているとか、夫人の体調を気遣う簡単な内容のものだった。
葉山は言った。
「 調査期間は1週間としましょうか。 まずは、3日ほどの初動調査をしてみて、結果をご報告致します。 それで結果を導き出す為の方向性が出れば幸いですが、行方調査は、映画やドラマのように簡単には参りませんので…」
いきなり、1週間分の調査見積りを提示する探偵社もあるが、葉山は3日分の初動調査費用を提示した。 ある程度の足取りが掴めれば、依頼者も、後の本調査発注への踏ん切りもつく。
夫人が答えた。
「 お手数をお掛けしますが、宜しくお願い致します。 …ずっと気掛かりだったんです。 時折、ハガキが届くので、いつか帰って来るだろうと思っておりましたが、もう、かれこれ20年になろうとしておりまして…… そのうち、ハガキすら来なくなったら、と思うと…… 」
じっと、机の上のハガキを眺めながら、寂しそうな表情の夫人。 終始、伏し目がちである。
葉山は言った。
「 鋭意、努力し、案件に望む所存です。 何か、お気付きの事がありましたら、どんな些細な事でも構いませんのでご連絡下さい 」
葉山は、夫人宅を後にし、車に乗り込んだ。
家を飛び出し、18年間も失踪している対象者……
葉山は、対象者である中島 一樹氏の心境を探ってみた。
本人の思考は、当然、分からない。 常識的、かつ一般的に推察してみるだけなのだが、意外と冷静に推測出来るものである。
( 失踪した本人には当初、それなりの自負があったはずだ。 おめおめとは帰れない… 失踪期間が長くなれば、尚更だろう。 今は、帰るに帰れない… そんな感じかな )
一樹氏にしてみれば、今更、どんな顔して帰れば良いのか分からない、と言ったところだろうか。
不定期に届く、ハガキ……
電話し、声を聞けば帰りたくなる。 ハガキは、そんな彼の心情を具現化していると言えよう。 もしかしたら、帰れない事情があるのかもしれない。
( 次に、どうやって糧を得ているのか、だな )
若いのだから、どんな仕事だってあるだろう。 ましてや、バイトに明け暮れていたフリーターである。 ただ、18年も経っている。 今は、日雇い、もしくは日給月給… あるいは正社員になっている、と見るのが一般的だ。 個人事業主になっている可能性もあろう。 今や、ネット環境さえあれば、商売が成り立つご時勢だ。
( まずは、当時のバイト先から洗っていくか… )
車のキーを廻し、エンジンを掛ける。 ふと、手を止め、葉山は思った。
「 浜松・横須賀・鎌倉だと…? 」
夫人から預かったハガキをブリーフケースから出し、消印を確認する。 他には、三島・平塚・川崎の消印があった。 浜松市内の消印が押されたものは5通である。
葉山は、ピンと来た。
( 東海道だな…! 一樹氏は、長距離の運転手をしている…! )
夫人から渡された友人の連絡先リストを出し、確認する。 職業を書き込んである者の連絡先があったのだ。 会社員・建築業・美容師… はたして、運送会社を経営している中学の先輩、と言う者の名前があった。 会社の所在地は、浜松市内。
「 コイツだ…! 」
葉山は、車を走らせた。
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