探偵日記
第17話『 探偵の情景・春夏秋冬 』4、雪の降る夜に
4、『 雪の降る夜に 』
小雪がちらつく、寒い夜……
大通りを走る車のヘッドライトに白く照らされ、ぼんやりと明るさを
感じる夜空から、はらはらと小雪が舞い降りて来る。
イルミネーションに彩られた繁華街にも、うらぶれた路地裏にも……
午後11時半過ぎ。
私鉄の高架に沿い、古びた軒を連ねる商店街へと足を進める。
ガードから少し離れた、小さな居酒屋が点在する商店街……
シャッターを下ろした商店が立ち並び、人気は無い。
暗闇に、電柱燈の無機質な明かりが、そこだけやけに明るく、寒々と
地面を照らしていた。
一軒の、小さな居酒屋の暖簾をくぐった葉山。
『 コの字 』型のカウンターの中に、老婆が1人。
右側カウンターの奥には、薄汚れた作業着を着た中年男性がいた。
半分ほど残ったコップ酒を右手で掴んだままカウンターに突っ伏し、
寝入っている。
数本の串が残る取り皿と、洗いざらしの軍手…
他に、客はいないようだ。
小さな鍋で、煮物らしきものを調理していた老婆は、葉山をいぶかしげに見ながら言った。
「 …いらっしゃい 」
「 手羽先とビール。 あと、おでんを適当に見繕ってくれ 」
葉山は、左側のカウンターに行くと、老婆の前に座った。
『 33年前に離婚した、私の母を捜して下さい 』
依頼者の中年女性は、そう言った。
会いたいのではなく、元気に暮らしているかどうかを知りたいのだと言う。
当時は、北陸の方に住んでいたとの事。
「 私… 半年前に、肝臓を患いましてね。 一時は、命も危なかったんです 」
伏し目がちに、そう語った依頼者。
命の危機を感じて以来、小学生の時に別れた母親の事が、気になって仕方ないとの事である。 離婚した理由は、知らないらしい。 父親も、何も語らず、14年前に他界したそうである……
葉山は、老婆に尋ねた。
「 この店、随分と長いのかい? 」
老婆は、瓶ビールの栓を抜きながら答えた。
「 そうさね… 30年くらいになるかね 」
「 1人でやってるの? 」
「 まあね 」
葉山の前のカウンターに置いたコップに、ビールを注ぐ老婆。 手元に置いてあったのか、火の付いた煙草を口にくわえると、ビール瓶をカウンターに置き、煙を出しながら言った。
「 お宅… 見かけないヒトだねぇ 」
「 上司の家が近くにあってさ。 送って行った帰りさ 」
ビールを、ひと口飲みながら、葉山は答えた。
おでんを皿に盛り、葉山の前に出す老婆。 銀歯を出し、ニッと笑うと言った。
「 サラリーマンも、大変だねぇ 」
遠く、電車の警笛が聞こえた。
高架を渡る振動音がカタン、コトン、と小さく響く。
店先を騒々しく、原付バイクが走って行った……
おでんに箸を付けながら、葉山は言った。
「 こういう寒い夜は、おでんに限るよ 」
湯気の立つ里芋を頬張る葉山。 老婆は答えた。
「 あたしゃ、こういった田舎料理しか出来ないのさ。 これで30年、やって来たよ 」
「 年季の入った味、ってワケかい? どうりで旨いな 」
老婆は再び、銀歯を見せながら笑った。 煙草を口に持っていきながら、葉山のコップにビールを注ぐ。
「 積もるかね、今夜の雪は 」
ビールを飲みながら言った葉山の問いに、煙をふかしながら、老婆は答えた。
「 風が無いからね。 多分、舞ってるだけさね 」
「 予報じゃ、積雪もありそうだと言ってたぞ? 」
「 無いね 」
短くなった煙草を、カウンターの上にあった灰皿で消しながら答える老婆。 葉山は、箸先で里芋を切りながら言った。
「 自信満々だな。 雪の多い地方の出身かい? 」
「 金沢に、住んでた事があるのさ 」
湯気の立つ里芋を頬張る、葉山。
「 実家? 」
「 30年くらい前に、嫁いだ先さね。 性が合わなくて、数年で別れちまったけどね…」
梁に掛けてある壁掛け時計の鐘が、しわがれたような音を1つ、立てた。
時までも眠ってしまいそうな、深々と冷える、静かな夜。
おでんを煮込む小さな音のみが、店内に聞こえる……
老婆は、菜箸の先に里芋を1つ刺し、口に頬張ると言った。
「 別れて家を出る時も、今夜みたいに雪が舞ってたよ。 濡れたマフラーの冷たさが、雪なのか涙なのか、分かんなくてさ… その日以来、あたしゃ、雪を見ると… 妙に切なくてねぇ…… 」
憂えいているのは、残して来た子供の事か、過去への追憶か……
葉山は言った。
「 雪は、いつか解ける日が来るモンだ 」
『 雪の降る夜に 』 / 完
小雪がちらつく、寒い夜……
大通りを走る車のヘッドライトに白く照らされ、ぼんやりと明るさを
感じる夜空から、はらはらと小雪が舞い降りて来る。
イルミネーションに彩られた繁華街にも、うらぶれた路地裏にも……
午後11時半過ぎ。
私鉄の高架に沿い、古びた軒を連ねる商店街へと足を進める。
ガードから少し離れた、小さな居酒屋が点在する商店街……
シャッターを下ろした商店が立ち並び、人気は無い。
暗闇に、電柱燈の無機質な明かりが、そこだけやけに明るく、寒々と
地面を照らしていた。
一軒の、小さな居酒屋の暖簾をくぐった葉山。
『 コの字 』型のカウンターの中に、老婆が1人。
右側カウンターの奥には、薄汚れた作業着を着た中年男性がいた。
半分ほど残ったコップ酒を右手で掴んだままカウンターに突っ伏し、
寝入っている。
数本の串が残る取り皿と、洗いざらしの軍手…
他に、客はいないようだ。
小さな鍋で、煮物らしきものを調理していた老婆は、葉山をいぶかしげに見ながら言った。
「 …いらっしゃい 」
「 手羽先とビール。 あと、おでんを適当に見繕ってくれ 」
葉山は、左側のカウンターに行くと、老婆の前に座った。
『 33年前に離婚した、私の母を捜して下さい 』
依頼者の中年女性は、そう言った。
会いたいのではなく、元気に暮らしているかどうかを知りたいのだと言う。
当時は、北陸の方に住んでいたとの事。
「 私… 半年前に、肝臓を患いましてね。 一時は、命も危なかったんです 」
伏し目がちに、そう語った依頼者。
命の危機を感じて以来、小学生の時に別れた母親の事が、気になって仕方ないとの事である。 離婚した理由は、知らないらしい。 父親も、何も語らず、14年前に他界したそうである……
葉山は、老婆に尋ねた。
「 この店、随分と長いのかい? 」
老婆は、瓶ビールの栓を抜きながら答えた。
「 そうさね… 30年くらいになるかね 」
「 1人でやってるの? 」
「 まあね 」
葉山の前のカウンターに置いたコップに、ビールを注ぐ老婆。 手元に置いてあったのか、火の付いた煙草を口にくわえると、ビール瓶をカウンターに置き、煙を出しながら言った。
「 お宅… 見かけないヒトだねぇ 」
「 上司の家が近くにあってさ。 送って行った帰りさ 」
ビールを、ひと口飲みながら、葉山は答えた。
おでんを皿に盛り、葉山の前に出す老婆。 銀歯を出し、ニッと笑うと言った。
「 サラリーマンも、大変だねぇ 」
遠く、電車の警笛が聞こえた。
高架を渡る振動音がカタン、コトン、と小さく響く。
店先を騒々しく、原付バイクが走って行った……
おでんに箸を付けながら、葉山は言った。
「 こういう寒い夜は、おでんに限るよ 」
湯気の立つ里芋を頬張る葉山。 老婆は答えた。
「 あたしゃ、こういった田舎料理しか出来ないのさ。 これで30年、やって来たよ 」
「 年季の入った味、ってワケかい? どうりで旨いな 」
老婆は再び、銀歯を見せながら笑った。 煙草を口に持っていきながら、葉山のコップにビールを注ぐ。
「 積もるかね、今夜の雪は 」
ビールを飲みながら言った葉山の問いに、煙をふかしながら、老婆は答えた。
「 風が無いからね。 多分、舞ってるだけさね 」
「 予報じゃ、積雪もありそうだと言ってたぞ? 」
「 無いね 」
短くなった煙草を、カウンターの上にあった灰皿で消しながら答える老婆。 葉山は、箸先で里芋を切りながら言った。
「 自信満々だな。 雪の多い地方の出身かい? 」
「 金沢に、住んでた事があるのさ 」
湯気の立つ里芋を頬張る、葉山。
「 実家? 」
「 30年くらい前に、嫁いだ先さね。 性が合わなくて、数年で別れちまったけどね…」
梁に掛けてある壁掛け時計の鐘が、しわがれたような音を1つ、立てた。
時までも眠ってしまいそうな、深々と冷える、静かな夜。
おでんを煮込む小さな音のみが、店内に聞こえる……
老婆は、菜箸の先に里芋を1つ刺し、口に頬張ると言った。
「 別れて家を出る時も、今夜みたいに雪が舞ってたよ。 濡れたマフラーの冷たさが、雪なのか涙なのか、分かんなくてさ… その日以来、あたしゃ、雪を見ると… 妙に切なくてねぇ…… 」
憂えいているのは、残して来た子供の事か、過去への追憶か……
葉山は言った。
「 雪は、いつか解ける日が来るモンだ 」
『 雪の降る夜に 』 / 完