ひと夏の、
気がつくと、水の音は止まっていた。
遼介くんは私の傍に膝を付き、私と視線を合わせた。

「寧々子」

私の名前を呼んでくれる、唯一の人。優しいその瞳を、真っ直ぐに見られるようになりたい。これはそのための決断なんだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。

「頑張った」

「ん」

「頑張ったよ」

「……ん」

柔軟剤の匂いがする遼介くんに抱き締められて、私は初めて子供みたいに泣いた。


いつかこの決断が、笑って話せるものになるといい。
時間がたくさんかかるかもしれない。
後悔することもあるかもしれない。


それでも、私はまたあなたに会いたい。


家出をした最後の夜を、私はそっと心の中で抱きしめた。
寂しくて愛しい夜は、焦げた卵の匂いがした。
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