5時からヒロイン
焦る女の賞味期限
 「突然ですがわたくし、水越沙耶(みずこしさや)は会社を辞めさせていただきます」

 もうだめだ、おしまい。
 誇りをもって秘書という仕事をしていたのに、自分から汚してしまった。
 立ち直れない私は、口からそんな言葉が出ていた。
 私の一生をかけて尽くすと決めた男に向かって言ったのだった。


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 容姿端麗、才色兼備。モデル並みの身長とスタイル。完璧な仕事ぶり。
 これだけは言っておくが、自分で言ったわけじゃない。私に対する職場の評価で、こんな肩書を付けられて、近寄り難い存在になってしまった。
 気が付けば二十九歳。恋愛や遊びには見向きもせず、ただひたすらに仕事を極めてここまできた。
 仕事では有意義ともいえる日々を過ごして来たが、女性としてはどうだっただろう。
答えは簡単だ。まったく有意義ではない。
 このまま手をこまねいていたら、私に対して男は、女として見なくなってしまうのではないだろうか。

 「枯れちゃう……」

 鏡に映る自分の顔を見る度に思うこの頃だ。
 新入社員だった時の初々しさと、はつらつとした輝き。鏡を見るのが楽しみだったあの頃。
 今はひたすらシミとシワに目を逸らす日々。それに加え潤いのない毎日が、私をどんどん枯らして行く。
 私の勤務する株式会社ファイブスター製薬は、創立百周年を迎える老舗企業だ。百年前はこんなしゃれた企業名だったわけじゃなく、「五代製薬」というごく平凡な会社名だった。
 前社長の時に、未来に向かって光り輝くという意味を込め、社名変更したのだ。
 社名が変わっても老舗企業、一流企業だと言うことは変わらず、常に人気企業ランキングのトップ十位内に入る常連だった。
 私は、この会社の秘書。ファイブスター製薬の秘書課は別名「玉の輿課」。歴代の社長は全て、秘書を妻にしている。
 社長だけではなく、過去の重役、部長職といったエリートは全て秘書だ。エリートのセレブ妻になるために女性社員は、ファイブスター製薬の秘書課に異動の希望を出していると言っても過言ではない。
 そして、秘書課の女性たちが目を輝かすのには訳がある。なぜか我がファイブスター製薬の管理職は独身が多い。年功序列制度は早くに廃止されており、実力で昇進している。ありがちな昇進試験はなく、統率力、功績、業績、周りからの評価のみで判断される。
 秘書課にはそのエリートたちを狙う女がいつもいる。
 この制度は前社長が導入したものであり、自分の子供すなわち、現社長の五代真弥が社長になった時、「仕事も出来ない御曹司」と言われないための処置で、五代社長にとっても重圧がかかることだった。でも社長はそんな重圧もまんまと押しのけ、満場一致で社長に就任した。だからこそ社長になった今も、仕事の手は抜かずに、全て把握することを心に決めて、経営に挑んでいる。
 そんな社長の秘書になってしまったお陰で、恋愛もせずに既にこの歳。秘書課の寿退職年齢は平均二十五歳なのに、私はその平均さえも押し上げてしまっている。

 「可愛く美しければ、仕事なんて出来なくていいのよ」

 新入社員だった私は「何があるか分からない世の中なんだから、ちゃんと仕事は出来ないとだめ」とがむしゃらに仕事を覚えていた時に、教育係をしていた先輩が口癖のように、私に言った言葉だった。
 そんな職場で仕事をしているせいなのか、仕事が異常に出来るように見えてしまったのが失敗だった。
 秘書が合コンに参加すると言えば、ちやほやされること間違いなしなのだが、何せ私は170cmの身長に加え、8センチのヒールを武器に闊歩していたために、見た目がめちゃくちゃ可愛げのない女に出来上がっていた。大きな女には興味がないのか、話題も振って来ない有様だった。
 そんなことばかりが続くので、すっかり合コンも参加しなくなり、恋愛の仕方まで忘れてしまいそうだと、怖くて仕方がない。

 「ハイヒールを履いてくるなと何度も言ってるのに」

 合コンの声かけをしてくれる友人は毎回そう言うのだが、仕事終わりで参加すると、必然とハイヒールになってしまうのだ。それに私がローヒールを履くと、背が高い女と思われたくないんだなと思われているようで、履く勇気もない。
 秘書課の中でまじめに仕事をしていただけで、好きで社長秘書になったわけじゃない。玉の輿を狙っているだけの秘書課の中では、それが目立ってしまったのか社長である五代真弥から、社長秘書を命ぜられてしまった。なんと入社2年目のことだった。

 「今日も、かっこよかった……」

 社長である五代真弥(ごだいなおや)に、毎日やられてしまっている。
 片付ける暇もなくて、散らかり放題のワンルームマンションに帰り、そのままベッドに倒れ込む。
思い出すのは胸焦がす相手、社長の五代真弥だ。実るはずのない恋をしてもう何年になるのだろうか。想いが叶わぬ相手を諦めきれず、気が付けば30歳目前だ。気ばかりが焦り、彼氏いない歴7年にもなってしまっている。

「会いたいよう」

 今別れたばかりなのにもう胸焦がれている。こんな私の気持ちを社長は分かっているのだろうか。
五代社長は私を秘書にすると、丁寧に仕事を教えてくれた。厳しい面もあったけど、怒られたことはない。何を考えているか分からない所もあるが、いつの間にか私にはなくてはならない人になっていた。

 「秘書課の血も私で途切れてしまう。先輩方、ごめんなさい」

 お家の存続と言ってもいいくらいの気持ちだった。絶対に私は恋愛対象、いや妻の対象じゃない。その気持ちがあるのなら、こんなに長く秘書にしておくはずがないからだ。
 叶うはずのない恋を諦められずにずるずると来てしまったけれど、ピリオドを打たなくてはいけないと思い始めてもいた。
三十歳になってしまう。

 「見切りも大切よね。私の旬が逃げちゃうわ」

 三十歳目前がいいきっかけだ。時間はかかるだろうが、社長を自分の胸から追い出す作業を始めよう。告白したわけじゃないし、今なら追い出すことも出来る。
 服を脱ぎ捨て、積み上げられた服の山が高くなっていく。ゆっくりと風呂にもはいる時間もなく、シャワーでざっと浴びる程度で済ませ、毎日欠かさないストレッチをして、ベッドに入る。

 「あ~汚い部屋」

 目に入るのは、服の山。ワンルームの富士山といったところだ。
 でも週末には綺麗になるのだから、今は見なかったことにすればいい。



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