5時からヒロイン
重たい気分で目覚めると、私の気持ちとは裏腹の快晴。

「今日も仕事か」

仕事のストレスをうまく発散する昨今のOLさんたちは、充実したライフスタイルを満喫しているらしい。
ドラマを見つくしてしまってユーチューブに手を出すと、「丁寧な暮らし動画」がたくさんあった。
料理に掃除、なんでも出来る控えめでキレイなお姉さんたち。ナチュラルな洋服とホワイトを基調とした部屋。住めればいいと思っている、私の部屋とは雲泥の差。何も出来ないズボラな私はさらに落ち込むけど、人は人、私は私と割り切る。

「おはようございます~」
「……」

私の顔を見て、何も言わない同僚たち。わかっている、顔がぶんむくれているのだ。メイクをしているときだって、枕カバーの跡が消えなくて焦ったんだから、相当な浮腫みなのだ。

「どうしたんです?」
「塩分の取りすぎよ」
「塩分?」

昨日の夜は、カップラーメンとスーパーで買った餃子、それにザーサイも買った。浮腫みやすいからスープは残すんだけど、全部飲み切った上にギョーザは、醤油を餡にしみるまで付けて食べた。
それにプラスして、山ピーで号泣。まるでお岩さんのような顔になっていた。

「ねえ、ほっぺたに付いてる線、消えてる?」

頬を見せて確認してもらう。

「あ~少しだけ跡がありますけど、気にならない程度ですよ」
「塩分を出さなきゃね」

朝から水をがぶがぶ飲んで、身体から塩分を出す作業に忙しい。それでも浮腫んでいるんだから、塩は気を付けなくちゃね。
今日はちゃんと新聞を束ねて、コーヒーを淹れる。かわいそうなことをしちゃったかなと、少し反省したんだよね。

「失礼します」

社長室のドアを開けて、いつもと変わらない社長がいた。

「おはようございます」
「……おはよう」

おや、おや? どうやら少しお怒りのご様子。きっと新聞のことだ。

「新聞です、コーヒーです」
「……」

社長は何も言わず、新聞を広げた。
おかしくて、おかしくてしょうがなかったけど、なんとか堪えてスケジュールを伝える。

「以上でございます」
「分かった」
「それでは失礼します」
「あ、沙耶」
「はい?」

そうよ、モーニングキスはまだだったわ。少し口を尖らせて待っていると、とんでもないことを言った。

「今日、園遊会にみえた頭取のご令嬢が来社される」

キスを待っていた尖った唇は、いつの間にかアヒル口に変化していた。
なんだと? 来るってか。

「畏まりました。来社される時間は?」
「3時にみえる予定だ」
「畏まりました」

くるりと社長に背を向け、社長室を出ると弥生にラインをする。

『弥生の同僚でいいから、男を連れてきて!』

合コンで店を予約して、メンバーを集めてなんてやっている場合じゃない。

「凝りもせずに、社長室に呼ぶとは不届き千万」

今日だってゆるいけど、びっしりスケジュールは詰まっていて、女と話す時間なんでないはずなのに、見合い相手には時間をさいて、恋人の私とは時間を作れないと申すのか!
イライラがマックスになりながらも、秘書として仕事はちゃんとした。仕事をするのは当たり前だけど、平常心で社長秘書のプライドにかけて頑張った。そんなこんなしながら時間はあっという間に過ぎて、令嬢が来る時間となった。
気が重く感じていると、受付から令嬢が来たと、連絡が入った。

「お通ししてください」

受付に返答して、社長に伝える。

「お見えになりました」
「わかった」

社長に伝えると、なぜか立ち上がって身支度を整えた。なんで? まったくやることなすこと気に入らない。
納得いかなくても迎えに行かなければと、受付に行く。

「なんで私が」

と思うけれど、仕方がない。
受付に行くと、園遊会の時と同じような雰囲気のワンピースを着て、令嬢は待っていた。しなやかな柳のようにゆらゆらしながら立っている。どこか具合いでも悪いですか? と聞いてやろうか。

「お待たせいたしました。秘書の水越でございます」
「こんにちは」

にこやかに、丁寧に、上品に首をかしげて挨拶する。透き通るような肌の白さで、血管まで見える。貧血ですか? と聞いてやろうか。

「ご案内いたします」
「ありがとうございます」

令嬢は小柄な女性で、私のような大女じゃない。並んで歩くとそれが顕著になって、ほんとうに嫌。

「だんだんと寒くなりましたね」

二人で黙ってエレベーターに乗っているのが気まずかったのか、令嬢が言った。

「そうですね。秋も深まってきましたから」

私が憎んでいるとも知らないで、呑気に天気の話。でも裏表がなくて性格が良さそう。嫌な奴かどうかなんて、少しでも話せばわかるというもの。最後まで憎ませてくれたらいいのに、ここへきて性格の良さがわかるなんて意地悪出来ないじゃない。

「こちらでございます」
「はい」

社長室のある階に到着して、社長室にお連れする。
ドアをノックして、社長室に令嬢をお通しすると、満面の笑みで社長が出迎えた。

「ようこそ」
「お仕事中にお邪魔いたしまして」
「いいえ、私が招待したんですから」

なんだと。招待とな。

「お茶をご用意いたします」

いつまでもいることは出来ない。お茶を淹れたりして、仕事をしなくちゃいけない。

「ありがとう」

私が社長室を出ていくとき、ちらりと二人を見ると、向かい合わせに座り、談笑を初めていた。
給湯室に行ってお茶の準備をするとき、涙が出ると思ったけどそんなことはなかった。
気持ちが冷め始めているのかもしれないと、客観的に自分を見始める。

「でもさ……こうしてやる」

コーヒーを淹れるカップにスティックシュガーをたっぷりと入れる。

「一本~二本~三本~」

お菊さんみたいに数えて入れれば、怨念も加わって最高の味になるはず。
お嬢様も少し憎いけど、よく考えたらお嬢様は悪くない。

「さて、行くぞ」

もうにやけがとまらない。このコーヒーを口にした社長がどんな表情をするのかと思うだけで、笑いが止まらない。
社長室のドアの前で、顔を作り直してノックする。

「失礼いたします」

ドアを開けたとたん、令嬢の控えめな笑い声。社長は喜ばせて笑わせる技術を持っていたらしい。

「どうぞ」

来客用にと買ってあったヨックモックのシガールを添えて、コーヒーカップを置く。

「ありがとうございます」
「水越の淹れたコーヒーはおいしいですよ。どうぞ」
「まあ、楽しみです」
「恐れ入ります。失礼いたします」

褒めてくれてありがとう。
そそくさと社長室を出ると、すぐに社長のむせかえった咳が聞こえた。

「ヒャッホー」

私はトレイを持って小踊りする。

「くっくっくっく……」

あー楽しい。こんなに楽しい意地悪があったなんて、TDLにいけなくても十分楽しめる。

「罰を受けるがよい」

今日は定時に帰る。残業なんかくそくらえ。私の行く道は私が決めるんだ。今日はやけ酒とやけ食い。男がいないと弥生からラインがあって、方向転換を余儀なくされる。
マコも参加するらしいから、社長を女の宴会で血祭りにあげてやるんだから。
デスクで仕事をしていると、社長と令嬢が出てきた。
私は立って頭を下げる。きっと社長は私を睨んでいるに違いないけど、知らんふり。

「会長室に行ってくる」
「畏まりました」
「コーヒーがとてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
「恐れ入ります」

なんとかわいい娘なのだろう。おいしいと素直に言えるのはとてもいいこと。
二人並んで歩いていくのを見届けると、時計は4時を指していた。あと一時間で私はダッシュで帰る。誰が何と言っても、止めても無駄。絶対に帰ってやるんだから。
お見合いの席を設けるまでもなく、既にお見合いは済んでいるじゃん。園遊会といい、今日といい、十分二人で話す時間があった。改めて見合いをする必要もないでしょうよ。
並木さんは情報を知っているだろうか。聞きたいけど私と社長の関係を勘ぐられたらと思うと、なかなか聞き出せないでいた。
直接対決するには、私に体力がなさすぎ。だって傷ついていてまだ半分も立ち直ってないし、何か言ったら泣き出しそうだから。

「チョコでも食うか」

チョコを一粒口に入れて、社長室を片づけに行く。

「飲んでる……ぐふふふ」

令嬢は当たり前だけど、社長もコーヒーを飲み干してあった。腹を抱えて笑いたいけど、ぐっと堪える。だけど、堪えれば堪えるほど笑いが止まらない。
社長に一泡吹かせてやることが出来るなんて、天国にいった気分だ。
私は最高の気分で後片付けをする。時間もいいころ合いで、社長室前のデスクを片づけると、秘書課のデスクに戻った。

「今日は終わりです?」
「そうよ」
「珍しいですね」
「今日はわりと余裕のあるスケジュールだったからね。帰れるときは帰らないとね」
「そうですよね~」

壁掛けの時計を見て、早く5時にならないかとそわそわする。今まではもうこんな時間なの? と早く過ぎる時間に圧倒されていたけど、今日は恐ろしく時間の過ぎるのが遅く感じる。
今日はスペインバルでワインと肉料理をがっつく予定。胃腸炎をしてからというもの、胃にやさしい食事ばかりをしていて、性格まで柔和で優しくなってしまった。そんな優しい私とは決別して、肉食の気の強い女になるのだ。

「5時だ! お先に失礼します!」
「お疲れさまでした~」

スキップでもしそうなほど、帰るのが楽しくて社長と令嬢がどうなっているかなんて、どうでもいい。肉とワインが私を待っている。

「倒れたって構わないわ。私には藍沢先生がついているもんね」

能天気に私は待ち合わせ場所へと急いだ。
だけど、楽しいはずの宴は予想もしない展開になっていった。
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