5時からヒロイン
社長は見るからに怒っているけど、怒りたいのはこっちの方。だから私はひるまないし、謝らない。だって楽しい飲み会を無理やりお開きにさせて、公衆の面前であんなキスをして。
「ふふふふ……」
キスは許してあげる。私が酔って大騒ぎをしなければ、あのキスはなかった。見合いをする男に私のリップを差し出すなんて、私は心の広い女だ。
「まったく……」
「ふんだ」
呆れてくれたって構わない。好きで好きで仕方なく別れるより、呆れて嫌われて別れたほうがきっぱりと忘れられる。
「お水が飲みたい」
「水か? 分かった」
鶴の一声みたいに、私の言うことを聞いてくれるなんて、そんなことあり?
社長は車をコンビニの前に止めて、お水を買ってきてくれた。
「ゆっくり飲みなさい」
「……うん」
冷たいお水が喉を通って、とてもおいしい。どうしてもっと怒らないのだろう。どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。どうしてときめくキスをしたのだろう。
深く悩むのは性に合わないけど、ここ数日は本当に悩んでイライラしっぱなしだった。それでも平常心で仕事をしていたのだから、褒めてほしい。
「なんであの店にいるって分かったの?」
ほかに頭に来ていることがあってすっかり忘れていたけど、なんで店が分かったのだろう。
「スマホの位置情報だ」
「ストーカーだ!」
「失礼だな。最終手段だ」
会社から支給されているスマホは、位置情報が分かるやつだったんだとこの時知ったけど、ということは今まで使ったことがなかったということね。
社長は運転しながら、このことについて文句を言っているけど、聞き流しちゃう。
車に揺られている間に少し酔いが冷めたかと思ったけど、マンションに着いて車から降りる時も、まだ足元はふらついていた。
パーティーの時も確かワインだった。お酒が弱い私には、ワインは無理なのかもしれない。
一度あることは二度あるというけど、今日は記憶を失ってない。考えることがありすぎて、脳みそがフル回転しているから、しっかりしているのかな?。
「大丈夫か?」
社長が支えてくれないと、まっすぐに立っていられない。頼りたくないのに、頼らなくちゃならないようになってしまうのが私。
「ワインボトルを渡しなさい」
「いや」
「どうしてボトルなんだよ」
理解が出来なくてもいい。このボトルは抱き心地がとてもいいのだ。家に持って帰って身代わり社長として活躍した、抱き枕の後を継がせようかな。
大女を抱えて、文句も言わずにいてくれる社長は、優しいけどそれは後ろめたさからくるものだ。もう騙されません。
「沙耶、靴を脱いで」
「は~い」
久し振りに来た社長のマンション。何年も来ていないかのように懐かしい。
「お久し振り~、たま子」
「いつ付けたんだよ、たま子なんて」
「いま」
「……」
玄関に飾ってある招き猫に挨拶すると、すかさず突っ込みを入れられる。聞き流してくれればいいのに、そういうところが真面目でいや。
この招き猫は有名クリスタルメーカーの物。座布団に鎮座しちゃって生意気だから、こうしてやる。
「ちょっと来なさい」
片手にワインボトル、片手に招き猫。これも抱えた感じがいいじゃない? 手切れ金代わりに持って帰っちゃおうかな。
「おいおい、両手に抱えたら危ないから渡せ」
「何よ! 招き猫が大事なの!?」
「そうじゃない、転んだらケガをするから」
「転ばない。私は起き上がりこぶしだから、転ばない」
なんて言っておきながら、派手に転んだ過去もある。
「やれやれ」
「おじさんみたい」
「……」
こんな嫌味な女にしたのは社長ですからね。
「お水でも飲むか?」
リビングで、ネクタイを緩めてジャケットを脱ぐ社長。大好きな仕草に悶絶しそうなところをぐっとこらえる。私はある決意をして、ここに来た。
ソファにあがって仁王立ちをする。
「沙耶! 危ないから降りて」
「ちょっと! お花畑種子は何歳なのよ!!」
とうど
社長を見下ろすなんて、滅多に出来るものじゃない。吹き抜けに近い高すぎる天井は、私の声を反響させて、部屋中に響く。
「花畑薫子さんだ」
「はっ! 種子でも薫子でもなんでもいいわ、 何歳なの!」
「23歳だ」
頭取の娘という以外何も分からなかったけど、名前だけはしっかり調べていた。
聞いてびっくり見てびっくり。社長の歳からして不純異性交遊じゃない。ワインボトルと招き猫を脇に抱え、両手を広げ指を立てて二と三を作る。
「エロじじいじゃない!」
「じじいとは酷いな」
「そんな若い歳の女を召し抱えるとは。どうせ私は30のになるおばさんよ。ずっと彼氏がいなくて枯れかけていた女よ。第一ね、日本の男は若い女が好きなのよ。自分のたるみを棚に上げて、ぴちぴちした女ばっかり嫁にもらっちゃってさ。それで言い訳が、子孫を残すことがDNAとして組み込まれているんだとか屁理屈こねちゃって、ろくなもんじゃないのよ」
「……」
「私だってね、若い男が好きよ。今時の若い子は、酸いも甘いも知り尽くしてリードしてくれる熟女が好きだっていうじゃない。秘書課だって女ばっかりで、それだって社長の趣味が反映されてるんでしょ? 平野紫輝君みたいな後輩が入ってくれば、あっというまに彼は私の虜になるはずなのに、まったく入社してくる気配がないし。社長が裏で手を回して阻止してるに違いないの」
「平野紫輝?」
「知らないの? 王様と王子様よ」
「……アイドルか……」
「それに、今市君にだってなってくれないじゃない!」
実は彼のお顔が大好き。少し野性的でクールだけど、笑った時の目がとても優しくていいのだ。目元がちょっとだけ、社長と似ているところが憎いのだ。
「今市君?」
「知らないの? お家を継いだ三代目よ、はっはっはっ」
「……アイドルね」
「どうせ私はつなぎの女。カードの限度額一杯の買い物をして、キレイに別れてやろうと思ったけど、いい人すぎてそれも出来ないお人好しな女なの。それを無様に捨てるとは、不届き千万じゃない!!」
「カードの限度額はない」
「そうなの?」
「そうだ」
「ちがう! そういうことじゃないの」
いけない、社長のペースに持っていかれそうになっちゃう。私は人につられてしまうところがあるから、気を引き締めなくちゃディベートが得意な社長に負けちゃう。
「いいわよ、手切れ金も貢物も何もなくても別れるわよ。未練がましく縋るのは、女がすたるというものよ」
言ってやった。絶対に私から別れを切り出すんだと、心に決めていたのだ。裏切者から言われたら、本当に立ち直れない。せめて私が捨ててやったんだという事実を作りたかった。
「ふふふふ……」
キスは許してあげる。私が酔って大騒ぎをしなければ、あのキスはなかった。見合いをする男に私のリップを差し出すなんて、私は心の広い女だ。
「まったく……」
「ふんだ」
呆れてくれたって構わない。好きで好きで仕方なく別れるより、呆れて嫌われて別れたほうがきっぱりと忘れられる。
「お水が飲みたい」
「水か? 分かった」
鶴の一声みたいに、私の言うことを聞いてくれるなんて、そんなことあり?
社長は車をコンビニの前に止めて、お水を買ってきてくれた。
「ゆっくり飲みなさい」
「……うん」
冷たいお水が喉を通って、とてもおいしい。どうしてもっと怒らないのだろう。どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。どうしてときめくキスをしたのだろう。
深く悩むのは性に合わないけど、ここ数日は本当に悩んでイライラしっぱなしだった。それでも平常心で仕事をしていたのだから、褒めてほしい。
「なんであの店にいるって分かったの?」
ほかに頭に来ていることがあってすっかり忘れていたけど、なんで店が分かったのだろう。
「スマホの位置情報だ」
「ストーカーだ!」
「失礼だな。最終手段だ」
会社から支給されているスマホは、位置情報が分かるやつだったんだとこの時知ったけど、ということは今まで使ったことがなかったということね。
社長は運転しながら、このことについて文句を言っているけど、聞き流しちゃう。
車に揺られている間に少し酔いが冷めたかと思ったけど、マンションに着いて車から降りる時も、まだ足元はふらついていた。
パーティーの時も確かワインだった。お酒が弱い私には、ワインは無理なのかもしれない。
一度あることは二度あるというけど、今日は記憶を失ってない。考えることがありすぎて、脳みそがフル回転しているから、しっかりしているのかな?。
「大丈夫か?」
社長が支えてくれないと、まっすぐに立っていられない。頼りたくないのに、頼らなくちゃならないようになってしまうのが私。
「ワインボトルを渡しなさい」
「いや」
「どうしてボトルなんだよ」
理解が出来なくてもいい。このボトルは抱き心地がとてもいいのだ。家に持って帰って身代わり社長として活躍した、抱き枕の後を継がせようかな。
大女を抱えて、文句も言わずにいてくれる社長は、優しいけどそれは後ろめたさからくるものだ。もう騙されません。
「沙耶、靴を脱いで」
「は~い」
久し振りに来た社長のマンション。何年も来ていないかのように懐かしい。
「お久し振り~、たま子」
「いつ付けたんだよ、たま子なんて」
「いま」
「……」
玄関に飾ってある招き猫に挨拶すると、すかさず突っ込みを入れられる。聞き流してくれればいいのに、そういうところが真面目でいや。
この招き猫は有名クリスタルメーカーの物。座布団に鎮座しちゃって生意気だから、こうしてやる。
「ちょっと来なさい」
片手にワインボトル、片手に招き猫。これも抱えた感じがいいじゃない? 手切れ金代わりに持って帰っちゃおうかな。
「おいおい、両手に抱えたら危ないから渡せ」
「何よ! 招き猫が大事なの!?」
「そうじゃない、転んだらケガをするから」
「転ばない。私は起き上がりこぶしだから、転ばない」
なんて言っておきながら、派手に転んだ過去もある。
「やれやれ」
「おじさんみたい」
「……」
こんな嫌味な女にしたのは社長ですからね。
「お水でも飲むか?」
リビングで、ネクタイを緩めてジャケットを脱ぐ社長。大好きな仕草に悶絶しそうなところをぐっとこらえる。私はある決意をして、ここに来た。
ソファにあがって仁王立ちをする。
「沙耶! 危ないから降りて」
「ちょっと! お花畑種子は何歳なのよ!!」
とうど
社長を見下ろすなんて、滅多に出来るものじゃない。吹き抜けに近い高すぎる天井は、私の声を反響させて、部屋中に響く。
「花畑薫子さんだ」
「はっ! 種子でも薫子でもなんでもいいわ、 何歳なの!」
「23歳だ」
頭取の娘という以外何も分からなかったけど、名前だけはしっかり調べていた。
聞いてびっくり見てびっくり。社長の歳からして不純異性交遊じゃない。ワインボトルと招き猫を脇に抱え、両手を広げ指を立てて二と三を作る。
「エロじじいじゃない!」
「じじいとは酷いな」
「そんな若い歳の女を召し抱えるとは。どうせ私は30のになるおばさんよ。ずっと彼氏がいなくて枯れかけていた女よ。第一ね、日本の男は若い女が好きなのよ。自分のたるみを棚に上げて、ぴちぴちした女ばっかり嫁にもらっちゃってさ。それで言い訳が、子孫を残すことがDNAとして組み込まれているんだとか屁理屈こねちゃって、ろくなもんじゃないのよ」
「……」
「私だってね、若い男が好きよ。今時の若い子は、酸いも甘いも知り尽くしてリードしてくれる熟女が好きだっていうじゃない。秘書課だって女ばっかりで、それだって社長の趣味が反映されてるんでしょ? 平野紫輝君みたいな後輩が入ってくれば、あっというまに彼は私の虜になるはずなのに、まったく入社してくる気配がないし。社長が裏で手を回して阻止してるに違いないの」
「平野紫輝?」
「知らないの? 王様と王子様よ」
「……アイドルか……」
「それに、今市君にだってなってくれないじゃない!」
実は彼のお顔が大好き。少し野性的でクールだけど、笑った時の目がとても優しくていいのだ。目元がちょっとだけ、社長と似ているところが憎いのだ。
「今市君?」
「知らないの? お家を継いだ三代目よ、はっはっはっ」
「……アイドルね」
「どうせ私はつなぎの女。カードの限度額一杯の買い物をして、キレイに別れてやろうと思ったけど、いい人すぎてそれも出来ないお人好しな女なの。それを無様に捨てるとは、不届き千万じゃない!!」
「カードの限度額はない」
「そうなの?」
「そうだ」
「ちがう! そういうことじゃないの」
いけない、社長のペースに持っていかれそうになっちゃう。私は人につられてしまうところがあるから、気を引き締めなくちゃディベートが得意な社長に負けちゃう。
「いいわよ、手切れ金も貢物も何もなくても別れるわよ。未練がましく縋るのは、女がすたるというものよ」
言ってやった。絶対に私から別れを切り出すんだと、心に決めていたのだ。裏切者から言われたら、本当に立ち直れない。せめて私が捨ててやったんだという事実を作りたかった。