5時からヒロイン
「変なことを考えなければいいけどな」

胸騒ぎがして、滅多に使わない社用のスマホにメールをする。
人一倍責任感が強い彼女のことだから、今頃、辞表を書いているかもしれないと心配して。

「泣いていたらどうしようか……」

彼女の涙は見たくないからな。
心配しながらあのことも気になって、一歩踏み出せない状態で翌日出勤すると、細田という名前の太った秘書課部長から、

「体調が悪いと連絡がありまして、急で申し訳ないのですが、水越は本日休みを取りました」
「具合が悪いんですか?」

本当なら初めてのことだ。
どんなときも元気に働いてくれていた彼女が、具合が悪いなんて。

「ええ、なんかこう、息も絶え絶えといった感じで……」

息も絶え絶えって……。

「彼女は一人暮らしですよね? 大丈夫なんでしょうか?」
「ええ……大丈夫だとは思いますが、秘書課からも様子を見るために、連絡はするようにいたしますから」
「そうしてください」

部長から報告を受け、仕事そっちのけで彼女のところに飛んで行きたい気分だった。
それが出来れば本当にいいのに、出来ない自分が歯がゆい。

「仕事したくないな」

手につかないとはこのことか。
電話を入れればいいものを、それすらもしない俺はなんなんだ。
今日ほど、時間が経つのが遅いと感じた日はない。

「しかし、本当に病気なのか?」

信じていないわけじゃないが、昨日の今日で怪しすぎる。
しかし、顔を見るまでは分からないし、ほんの少しだけ信じてみよう。

「早く~」

どんなことがあっても、定時まではいないと、社員に示しがつかない。
なかなか進まない時計を何度も見ながら、5時ぴったりに退社した。
彼女の住まいを、社員住所録で探して車で向かう。

「住んでいるところも知らないんだからな」

というより、調べないようにしていたといったほうが正しい。
なんでかというと、知ってしまったら行ってしまいたくなるからだ。

「ここだな」

途中で何か買っていこうかと、デパートをうろついてみたりしたが、結局何も買わずにここに来た。

「どうするか……」

部屋を訪ねるべきか、電話を入れるべきか。
車を降りて悩んでいると、ひと際目を引く女が歩いてきた。
その姿は病人ではなく、元気そのもののだった。
歩きながらスマホをいじって、たらたらと歩いてくる。

「やっぱり仮病か」

俺の勘は的中した。
おかしすぎてにやけてしまう。

「だけど、あの姿は許せないな」

なんて短いパンツを履いているんだ? 
どうみたって部屋着だし、脚を出しすぎだ。
こんな夜にそんな姿で歩いていたら、襲ってくださいと言っているようなものだ。

「自分の綺麗さを分かってないな、まったく……水越くん」
「……!!」

もっと優しい言葉をかけるつもりだったが、その姿を見てやめた。
だけど、俺の出現がよほどびっくりしたのだろう、よろけて転びそうになった彼女を助ける。

「元気そうで何よりだ」
「しゃ、社長?」
「風邪のわりには、大胆な服装だな」
「あ、まあ……」

先にその魅惑的な脚を隠さないと、落ち着かなくて、ジャケットを脱いで彼女の腰に結びつけた。

「すみません……」

どうしていいかわからなくなった彼女は、俺をお茶に誘う。


「そのスタイルでか?」
「えっと、その……ダメですね。すみません!! どうしても顔を見せられなくて、申し訳ありません!!」
「その様子だと、風邪もたいしたことが無いようだ。安心したよ」

心配した分、嫌味を言いたい。

「社長が、その……居眠りした私がいけないのですが、その、起こして下さればこんなことには……」
「気持ちよさそうに眠っていたから、そっとしておいたんだ。それまでだが?」
「あの……いつから、その……」
「コーヒーを飲みたくて、君を何度呼んでも返事がなくてな。どうしたのかと様子を見に行ったら、気持ちよさそうに眠っていたわけだ」
「はぁ……申し訳ありません」
「そこまでの睡眠不足にしてしまった私に責任がある。上司として失格だな、悪かった」

ここ最近の激務は目に余るものがあった。本当に申し訳ない。

「とんでもないです」
「可愛い寝顔だった」
「は!?」
「明日はちゃんと出勤しなさい。いいね」
「は、は、はい!」
「それと、夜に女性がそんな姿で歩くんじゃない。男の目があることを忘れずに」
「すみません……」
「さあ、入りなさい」
「社長こそ、お先に」
「君を残して帰るなんて、出来るわけないだろう?」
「すみませんでした。では明日……」
「分かった」

何度も振り返ってマンションに入っていく姿が、いじらしい。
ぶらぶらと下げたコンビニの袋には、おかしと食料が入っている。

「そんな食事じゃ、栄養不足になるだろうが。作ってやりたいな」

あの様子じゃ、料理はまったくしないのだろう。
まあ、俺が好きだから出来なくても問題はないが。

「さて、帰るか」

姿が見えなくなったのを確認して、俺も帰ることにする。

「付き合っているとは言えないが、少しずついい方向に行っているんじゃないか?」

なんて呑気に構えていたのは俺だけで、彼女の身体が悲鳴を上げていたことなんかまるで分かってなかった。


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