5時からヒロイン
翌朝出勤すると、彼女が淹れたコーヒーといつもの新聞が、代理の秘書から運ばれてきた。

「何かあったら呼ぶから、秘書課にいるように伝えて」
「畏まりました」

彼女以外、俺の秘書は勤まらない。
丁寧に淹れてくれたコーヒーがあれば、彼女を感じられるし、それでいい。
それでも俺のことが気になる彼女は、何かにつけ内線で連絡を取ってくる。
用があれば呼ぶと言っているのに、健気な女だ。
終業の時間が近づくと、予想していた通り、彼女がやって来た。

「水越でございます」

俺は彼女がドアを開ける前に、先に開けた。

「秘書課で大人しくしていなさい」
「え!?」

彼女を抱き上げソファに座らせる。

「痛みはどうだ?」
「大丈夫です。湿布も効いていますし」
「そうか」
「何かご用はございませんか?」
「仕事は終わりだ、帰るぞ」
「は!?」
「帰る支度は済んでいるのか?」
「あの、バッグ……」
「取ってくるから待っていなさい」
「い、い、いいですぅ!! 社長、自分で行きますからぁ!」

彼女の声を背に受けながら、秘書課に行きバッグを持ってくる。
秘書課に入った時の、あの部長の顔。
いつでもクールを装っている俺も、吹き出しそうになった。
社長室に戻り、おろおろとしていた彼女を抱き上げ、誰にも見られないように駐車場へ向かう。

「寒くないか?」
「大丈夫です」

足元はサンダルで寒いだろう。
足元に暖房をかけ、彼女のマンションへ向かった。
こんな状態になっても休まない彼女に、有休の提案をした。

「有休を使って休んだらどうだ?」
「え……」
「申請していただろう?」

退職したいと言われ、有休も取りたいと言われ、俺を惑わす彼女。
退職より有休を取ってもらったほうがいいに決まっている。
家にいてくれたほうが俺の心は安定するけど、いないと仕事が手につかず俺は放心状態になる。
俺は彼女が意識しないところで、振り回されているのだ。

「社長が宜しければそうさせていただきますが、よろしいのでしょうか?」
「構わない」

構うよ、構うに決まってるが、そうは言えないだろ。
隣に座る彼女から、何度か視線を感じるが、それを無視するのはとても大変だ。
いろいろと我慢しているから、制止出来るか自信がない。
最近思ったことじゃないが、彼女の仕草と行動が、少し変わっている。
いろんなことを想像しているのか、表情がくるくると変わって、可愛いのだがおもしろくて仕方がない。

「どこか具合でも悪いのか?」
「なんでもありません」

聞かれると思っていなかった様子で、突然真顔になって応える。
こういうのを天然というのだろうか。
秘書であることを誇りに、いつでも規律正しくしているけど、本質は漏れてしまっているようだ。
そこが彼女の魅力でもある。
俺の見るところ、彼氏はいなかったようだが、まったく世の男は彼女の魅力が分かっていない。
それを見抜いた俺が、彼女を手中に収める権利があるというものだ。
会社から近いところに住んでいるせいで、あっという間に送り届けてしまった。
渋滞もしないし、車の故障もない。
順調じゃないのは、俺たちだけか。

「本当にありがとうございました」
「帰れるか?」
「大丈夫です。心配性ですね」
「君だから心配するんだ」
「……え?」

ぽろっと本心が出てしまった。そうだ、それでいい。
今なら聞ける気がする。
彼女を見つめる視線も熱くなって、今にもキスをしてしまいそうだ。
でもちょっと待てよ。今の彼女の状態を考えたら、惚れた腫れた、寝たどうする、こうすると言っている場合じゃない。

「よく休みなさい」
「分かりました」

片足を引きずって歩く姿は、なんとも痛々しく見ていられない。
顔色もどんどん悪くなっている気がするし、あんな足で通勤していては、治るものも治らない。
彼女が休みやすくなるよう、予定を調整することにしよう。
先の予定を確認しながら、どこか調整できない物かと考える。
そんなことを考えてないで、とっとと休ませなかったことを、このあと後悔することになる。

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