5時からヒロイン
贔屓にしているデパートに着くと、彼女はある場所で足を止める。
あの、凶器のような靴の売り場だった。

「私のルブタン……」

欲しいなら買ってやろう。
なんでもいい、彼女にやってやりたかったすべてをやりつくすのだ。
その第一段階が買い物ならそれでいい。
なんでも買ってやる。

「かわいい」
「気に入ったのか?」

この先を口にすると、俺が買ってしまうのを分かっていると思う。だから何も言わない沙耶には聞かずに店員に指示をする。

「五代だが、まとめておいてくれ」
「畏まりました」

驚く彼女の手を引いて、化粧品売り場、寝具、洋服と彼女を包むすべての物を買いあさる。
若いころは物欲もあって、買い物も派手にしていたが、ここ最近は週末も仕事でつぶされてしまっているせいか、家で寛ぐのが最高の楽しみになっていた。
自分の買い物ではないのに満足出来るのは、沙耶だからだ。

「社長、もういいですよ」
「まだまだ足りない」
「十分です」
「一週間だぞ? それにこれからも家に来るのに、わざわざ泊り道具を持って来るのか? そんなややこしいことしなくていい」

沙耶の必要な物を買ったくらいで、俺は破産しない。
スーツや普段着だって、買えば帰らなくてすむじゃないか。
俺の願いを素直に聞き入れてくれた沙耶は、楽し気に買い物をして、俺のマンションに向かった。

「どうしよう……こんなに」
「大したことじゃない」

気にするのは彼女らしいが、俺がしてやりたいことは、こんなもんじゃない。
たまりにたまった計画は、これから実行に移されるんだ。

「有休の一週間、俺にくれないか?」
「私の有休なんて」
「どんなものより価値があるよ。沙耶の時間がすべて俺のものなんて」

朝起きたら沙耶がいて、帰って来ても沙耶がいるなんて、贅沢この上ない。

「本当にありがとう、とっても嬉しい」
「履いてみたらどうだ?」
「はい」

これで凶器のようなパンプスは、もう履かないでほしい。

「かわいい」

靴を履いてくるくると回る彼女が、憎たらしいほど可愛い。
このまま抱き上げて、ベッドに連れていきたい衝動を堪えるのに必死だ。

「あ……」
「大丈夫か?」

くるくる回りすぎて、目が回ったらしい。
ふらついた沙耶をここぞとばかりに引き寄せて、胸に抱き込む。

「いろいろな所に行きたいです」
「そうだな」

街でショッピングなんて出来ないだろうし、沙耶には窮屈な付き合いになるだろう。
その分、心に刻むようなデートをしたい。

「さて、腹がへったろ? 飯でもつくるか」
「え? 社長が作るんですか?」
「そうだけど?」
「料理をなさるんです……か?」
「料理は好きで得意だよ」
「……」

分かってる。
料理は出来ないし、嫌いなんだろ? 
女だから出来て当たり前という時代じゃないし、好きな方がやればいい。それに、作りたくなったら俺のように作り始めればいいだけのこと。
沙耶が気にしていることは分かってる。
男の俺が作れるのに、女の自分が作れないなんてと、落ち込んでいるに違いない。

「出来たら呼ぶからテレビでも観てなさい」
「は~い」

キッチンへ行き野菜中心の食事を作る。
ご飯は柔らかく、野菜も薄味で煮る。
すると沙耶が後ろから抱きついた。

「どうした?」
「いいの……放っておいて」

そうか、分かったぞ。俺のエプロン姿に萌えたんだろう?
エプロン姿には自信がある。いつか沙耶に見せたいと思っていたこの姿。
披露できたのは沙耶が病気になったからという、そこだけは想定外だったが、お披露目できたのは良かった。
ひとしきり抱きついて満足した沙耶は、テレビを観ている。
きびきび仕事をして、出来る女なのに、仕事から離れた姿は、守っていやりたくなるような子供のようだ。

「沙耶、ごはんだぞ」
「はい」

テレビから顔をこちらに向け、満面の笑顔で返事をする。
初めての手料理は、手の込んだフルコースを振舞いたかったが、それはあとのお楽しみとしよう。
味には自信があったが、なんせ沙耶の胃を考えて、味付けを薄くしているから、味見をしてもあまりおいしく感じられなかった。
丁寧に出汁をとったから、上品に仕上がっていると思うが、彼女の感想を聞くまで緊張する。

「……おいしい」

この顔は本当においしいと思ってくれている顔だ。
大きな目をさらに大きく見開いて、信じられないような顔をしている。

「体調が良くなれば、イタリアンを作るよ」
「嬉しい」

たくさん食べて早く元気になれ。
そして秘書の時とは違う顔を見せてくれ。
俺の隣にいるときの顔は、どんな顔なのだろうか。



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