5時からヒロイン
買い物を終えて、車に乗り込んでマンションへと向かう。たった一週間だったけど、上流の暮らしに慣れるのは簡単だった。
しかし今から帰るところは、ワンルームのゴミの山。平民の生活へと戻る時がきたのだ。
心配するより、小言を言ってケンカになりそうだったから、家族には入院していたことを内緒にしていた。それに、家の中を見られたら、速攻で実家に戻されるに決まっている。
帰って寛ぐどころか、片付けをしないと座る場所もない状態の家の中は、考えただけでうんざりする。

「明日は無理せず、体調と相談して出勤しなさい」
「分かりました」

明日も会社で会えるのに、離れてしまうこの瞬間がものすごく寂しい。

「そんな顔をするな、永遠の別れじゃあるまいし」
「そうですけど」
「明日また会える」
「はい」
「これでも食べて元気出しなさい」

社長が渡してくれたのは、あの高級チョコレートだった。

「これ……私のだったの?」
「一度に全部食べるんじゃないぞ」

最後に取っておくなんて、なんて憎い演出なの?

「社長……嬉しいです」

私を喜ばせる方法を、どれだけ持っているのだろう。本当に嬉しい。物を買ってくれるより、気持ちに寄り添ってくれることが何より嬉しい。

「夜更かししないで早く寝るんだぞ」
「分かりました」

離れがたさに涙が出そうになるけど、軽くキスをして別れる。
一週間ぶりに自宅のドアを開けると、悲惨な状況が広がっていた。分かってはいたけど酷すぎる。整理と掃除が行届いた社長の家に慣れていた私は、綺麗な部屋の心地よさを知ってしまった。ゆっくりする間もなく、掃除と片付けを始める。
炊事と掃除はダメだけど、洗濯は大好き。片っ端から洗濯をして掃除も始める。

「よかった、明日ゴミの日で」

玄関にごみの袋を置いて、部屋を見渡す。

「やっぱり綺麗な方がいいな。服も少し処分しよう」

ミニマリストにはなれないけど、着ない服の処分はした方がいい。服にバッグにアクセサリーと私を着飾るものは、どれも必要で手放せない物だったけど、今見ると、なんでこれが必要だったのか、全く分からない。
物じゃなく心が満たされると、物欲は無くなるのだろうか。
数々の小物は、見栄を張りたいための道具だったのか、それとも女のおしゃれとして必要な物だったのか、いまはその意味が分からない。服に合わせて何もかも揃えて、費やしたお金も凄いだろう。
いい女と見られたい。
出来る女と見られたい。
そんな見栄なんてもういらない。
もしかしたら、恋人が出来なかったのは、くだらない見栄を張っていたからなのだろうか。

「美味しい」

我ながら自分で淹れたお茶は美味しい。

「コーヒーで食べたかったな」

社長が買ってくれたチョコレートは、私の大好きなピーナツチョコより美味しい。
六個入りのチョコレートは大切に食べよう。

「一週間楽しめるわ」

手を伸ばせば、なんでも取れる狭いワンルームで、社長を思いながら高級なチョコレートを食べた。


< 70 / 147 >

この作品をシェア

pagetop