蒼月の約束
第三十一話
寒い。
それが一番鮮明に覚えている感覚だった。
物心ついたころから「家」と呼べる場所に住んだことがなかった。
一つの村にたどり着いては、民家から離れた狭い馬小屋のような場所で暮らし、また出て行く。
そんな生活の繰り返しだった。
なぜ逃げるのか。
なぜ追い立てられるのか。
その理由も分からず、足が痛くなるほど歩きどうしの日々だった。
それでも不思議と不幸と感じなかった。
汚くて臭くて、夜には凍るような風が体を芯から冷やすような場所にいても、安心していられた。
耐えられた。
愛する家族がいたから。
「大丈夫か?あと少しの辛抱だ」
太い声で父親が言う。
髪は乱れ、疲れ果てた顔の髭は伸び放題だが、その広い背中はたくましかった。
「着いたら温かいお茶でも飲みましょう」
寒さで疲れているはずなのに、それを微塵も見せない大好きな母親の笑顔。
疲れで全身の筋肉が悲鳴を上げ、酷使した足の指先から血が出ていても、険しい山道を歩き続けられたのは、自分の身を案じてくれる両親がいたからだ。
二人はよく言っていた。
私たちが幸せでいられるのは、あなたがいるからよ。
絶対に守るからな。
そう言っていたのに。
なのに、なぜ…
なぜ私は独りぼっちなのだ…
もう何日、一人で歩き続けているのか分からない。
空を仰ぎ見る。
薄暗い灰色の天から、白い綿毛がゆらゆらと宙を舞い降りて来た。
ゆっくりとそして残酷に余力の残っていない体から体温を奪っていく。
少女の体が傾いた。
乾いた土の上にうつ伏せに倒れる。
寒い。
痛い。
辛い。
彼女は目を閉じた。
一筋の水が冷え切った頬を流れ、湿った土に吸い込まれていった。