ここではないどこか

 そんな入学式から1ヶ月ほど経った日。
 友達とショッピングを楽しんだ後、早々に家に帰った私は玄関に見慣れない靴を見つけ、控えめに「ただいま」と言った。
 ガチャリとリビングの扉を開けると透の「おかえり」と言う声のあとに「お邪魔してます」と言う明るい声が続いた。

「あ、智宏くんか……久しぶりだね。ただいま」

 透と所謂幼なじみという間柄の智宏くんは私が唯一面識のある透の友達だった。

「なに?買い物?」

 両手に下げられたショッピングバッグを見た透の質問に「そう、いっぱい買っちゃった」と照れ笑いを浮かべる。

 「2人はゲーム?」

 そう聞くと「香澄さんも一緒にしません?」と智宏くんが誘ってくれた。2人がしているゲームは少し古いもので、私も昔したことがあった。懐かしさと好奇心に誘われ、「楽しそう。やろうかな」と答えると透は面白くなさそうにふいと顔を逸らした。
 
「やったー!透が強すぎて、俺つまんなかったんすよ」

 と無邪気に笑う智宏くんが透がいる左側にずれて、スペースを作ってくれる。ん?若干失礼じゃない?と気になりつつもそのスペースに腰を下ろした。
 邪魔しちゃ悪かったかな……透の反応を見て申し訳なく感じたが、既に乗り気の智宏くんを無下にはできなかった。
 ごめん、透。お姉ちゃんは弟よりも弟の大事な友達の方をとるよ。私は弟の友達に"お前の姉ちゃんって優しいよなぁ"って言われたいの!
 自分の俗っぽい思惑に少なからずバカバカしさを感じながらコントローラーを持とうとした時「姉さん、こっちにおいで」と自分の左隣のスペースを指差した透に手招きをされた。
 なんで?その疑問は有無を言わせない透の鋭い視線に弾かれて音にならなかった。

「俺の方が上手いから。俺が教えてあげる」

 うっ……なんかその言い方やらしい。弟に性的な魅力を感じるなんてどうかしてる。そう思いながらも透の視線に気圧され、大人しく左隣に腰を下ろした。


「待って!智宏くん、攻撃しないでー!」
「だめだめ、俺は容赦しません!優しくないので!」

 勝利者を称える音楽が鳴り、先程まで智宏が動かしていたキャラクターが腕を突き上げ、勝利した自分を称える姿がテレビ画面に映し出された。
 悔しい……さっきから3戦すべて黒星。

「やっば。さっきまで負け続けてたから……楽しい!香澄さん、もう一戦!」
「もうしないでーす」

 やっぱり透に勝てないストレスを私で発散しようと誘ったんだなぁ……!恨みがましく視線を投げ唇を尖らせた私に智宏くんはばつが悪そうに笑った。

「俺が姉さんの仇を討ってあげましょう」

 出た。意地悪く片方の口角と眉毛を上げる透の表情。そしてちろりと赤い舌が覗いたかと思えば下唇を軽く舐めた。まただ……またこうやって弟にドキドキしてしまう。

「お願いいたします」

 その心を隠すように、仰々しい言葉と態度でコントローラーを透に献上した。

「また透のターンじゃん」

 すると、ぷぅと片頬を膨らませた智宏くんの面白くなさそうな声に被せるように透のスマホが着信を知らせた。
 ちらりと発信者の名前を確認した透は僅かにため息を吐き、スマホを持ち上げると「ごめん、ちょっと……」とリビングを後にした。
 私にも見えてしまった。確実に女の子だとわかる名前だった。この湧き上がる感情はなんだろうか。苦しい。誰のものにもならないでと、弟に願うことはきっと正しい道から外れている。それだけが今わかる唯一の正解だった。

「女の子……ぽかったね?」

 えへへ、と自分の表立って言えない感情を隠すように笑うと智宏くんは私が気にしていることを察したのだろう。深刻にならぬよう優しい声音で話しだした。

「たぶんクラスの女子ですね。同じ委員会で、透のこと好きっぽい子だと……。ほら、透モテるから。中学の時からそうだったでしょ?」
「そうだね」

 微笑み返しながらほんの数ヶ月前のことを思い返す。バレンタインデーに家までチョコレートを持ってきた女の子を。卒業式の日、インターホンを鳴らした女の子を。
 透が言わなくてもモテることは伝わってきた。その度に透を誇らしく思うどころか焦燥を感じていたのだ。気づかないふりをしていた。気づいてしまえば溢れてしまいそうだったから。どうにもならない恋心は深く深く埋めて、私さえも忘れてしまえばいいと思っていた。
 だってそれを拾い上げたところで、透には伝えられない。どれだけ時間をかけて大切に育んでもいつかは枯らすしかない気持ちを、慈しんでも仕方ないじゃない。
 あぁ、そうか。私ってばもうとっくに好きだったんだ。透の鋭い三白眼に射抜かれたあの日から好きだったんだ。
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