ここではないどこか

5

「姉さん」

 愛おしい人を呼ぶ声は弱々しく掠れていて、それが自分の自信のなさをより一層際立たせた。

「とおる」

 姉さんの黒々とした目がだめだよ、と言っている。だけど俺の名前を呼ぶ声は愛おしげにまろみを帯び、それだけで涙が出てしまいそうなほどに切なげであった。
 もしかすると姉さんも俺と同じ気持ちかもしれない。いや、そんなことあるわけないだろう?2つの感情が忙しなく押し寄せせめぎ合う。
 あと少しだ。それを言ってしまえばあとは堕ちるだけだ。
 
「彼女なんていないよ。ただ連絡先を渡されただけ」
「そう……」

 返事をした姉さんは視線をそらし、ほっとため息を吐く。

「だって、俺が好きなのは……」

 その先は姉さんの口内へと溶けて消えた。背伸びをしていた踵を下ろした姉さんを強く抱きしめた。握っていたピンクの紙が音も立てずに廊下に落ちる。

「すきだ。ずっとずっと好きだった」

 やっと言えたその言葉に姉さんは消えそうな声で「わたしも」と応えた。
 地獄ではなかった。ここは地獄などではなかった。どこを選びとっても地獄だと思っていた姉さんとの関係は、唯一の楽園に成った。


 触れた肌はしっとりと吸い付き、俺を惑わせる。お互いの気持ちを確認してからは、今まで抑圧されていた欲望が一気に目覚め、もっともっとと貪欲にお互いを求めた。
 一線を越えてしまえば、今まで何を不安に思い、何に遠慮していたのかさえわからなくなった。
 仕方ない。だってどうしようもなく好きなんだから。それを大義名分とし「すきだ、すきだ」と熱に浮かされたように繰り返した。

「姉さん、すきだよ」
「さっきから何度も聞いてるよ」

 姉さんがくすくすと口元に手をあてて優しく笑う。

「今まで我慢してきた分がまだたんまり残ってる」
「わかる。私にもまだたんまり残ってる」
「じゃあ、もっとちょうだい」

 セミダブルのベッドで布団に潜り、足を絡めながらじゃれつく。子供が親に隠れていたずらをするときと同じ、見つからないように小さな声で。     
 耳元で囁く愛の言葉はこんなにも甘美だったのか。ずぶずぶと堕ちていく。絡み合った足が這い上がる気を根こそぎ奪っていく。

「すきよ」
「俺も。あいしてる」

 そう告げれば、姉さんはぴたりと動きを止め「それはずるいよ」と泣いた。その涙に口づけを落とす。

「すごいね。姉さんは涙まで甘い」
「……もう……」

 呆れたように笑った姉さん。信じてないな。本当なんだよ。本当に全部甘いんだよ。
< 16 / 83 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop