ここではないどこか
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"バッシュ忘れた"
それだけで差出人である透の言わんとしていることがわかった。通知バナーに邪魔をされたゲーム画面を閉じて、私は透の部屋の扉を開ける。黒地に緑のラインが入っているシューズケースはやはり乱雑に置かれていた。
緑は透の好きな色だ。小さな頃からやたらめったらに緑をすすめてくる父親の影響かもしれないが、気がつけば何かにつけて緑を選ぶようになっていたと聞いたことがある。
「もう、大事なものなのに…!」
ここにはいない相手に向けられた言葉が虚しく響く。丁寧に拾い上げたシューズケースを大事に抱えて、透の元へ急いだ。
▼
"あったから持って行くね"
姉さんからのメッセージを確認して「持って来てくれるって」と智宏と瑞樹に伝える。
「おぉ、よかったな!」
安心したように笑う智宏を見て、自分の中にたしかにある焦燥感を抑え込んだ。
智宏は姉さんと会ったことがあるから大丈夫。レッスン場には入って来られないから瑞樹とは会えない。大丈夫。仁くんは電車の遅延でいつ来られるかわからない…けど、大丈夫、大丈夫。
姉さんに好きな人ができるかもしれない。何度不安になって、その度何の足しにもならない大丈夫を言い聞かせて。いったいいつまで繰り返せばいいのだろうか。そして最後には俺ではない誰かと永遠を誓う姉さんをこの目に焼き付けるんだろう。
それはなんという地獄なのだろうか。どうせいつか訪れる地獄なら、いっそ今突き落としてほしい。
いつだって思い出すのはあの日出会った姉さんの下がった目尻だ。
▼▲4年前▲▼
中学2年生だぞ。
この多感な時期に突然姉ができる俺の気持ちを考えたと言うなら、再婚は俺がもう少し大人に近づくのを待ってからしてほしかった。せめて高校卒業してからだろ。
色々と思うところはありながらも父親の幸せそうな顔を見ると、もう何も言えなかった。だからと言ってこれから一緒に暮らす姉に満面の笑みで挨拶する気にもなれなかった。
「これからよろしくね」
姉さんの声はどこまでも優しかった。
こくりと頷くのみで、はにかむことも目を合わすことすらしない俺に「きちんと顔を見なさい」と父親が咎める声を出した。まるで幼い子供に言い聞かせるかのようなそれに、罰が悪くなりチラリと姉さんを見やる。その瞬間、声よりも優しい眼差しが心を揺らした。全てを赦された気がした。
どうして父さんだけしかいないのと泣いたあの日を。
心ない言葉で友達を傷つけてしまったあの日を。
かけっこで1番になれなかったあの日を。
僕がやりましたと言い出せなかったあのことを。
嘘をついて、努力が報われなくて、泣いた、悔しくて辛い、残酷な、それでも確かに一生懸命生きていた今までの全てを。
そうか、これが一目惚れか。遅い初恋だった。
そしてその瞬間、俺は犯した最大の罪を理解した。
これだけは赦されない。誰にも赦されない。
ただ確かに心の中にある。
これは俺だけが知ることのできる唯一の光だ。
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"バッシュ忘れた"
それだけで差出人である透の言わんとしていることがわかった。通知バナーに邪魔をされたゲーム画面を閉じて、私は透の部屋の扉を開ける。黒地に緑のラインが入っているシューズケースはやはり乱雑に置かれていた。
緑は透の好きな色だ。小さな頃からやたらめったらに緑をすすめてくる父親の影響かもしれないが、気がつけば何かにつけて緑を選ぶようになっていたと聞いたことがある。
「もう、大事なものなのに…!」
ここにはいない相手に向けられた言葉が虚しく響く。丁寧に拾い上げたシューズケースを大事に抱えて、透の元へ急いだ。
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"あったから持って行くね"
姉さんからのメッセージを確認して「持って来てくれるって」と智宏と瑞樹に伝える。
「おぉ、よかったな!」
安心したように笑う智宏を見て、自分の中にたしかにある焦燥感を抑え込んだ。
智宏は姉さんと会ったことがあるから大丈夫。レッスン場には入って来られないから瑞樹とは会えない。大丈夫。仁くんは電車の遅延でいつ来られるかわからない…けど、大丈夫、大丈夫。
姉さんに好きな人ができるかもしれない。何度不安になって、その度何の足しにもならない大丈夫を言い聞かせて。いったいいつまで繰り返せばいいのだろうか。そして最後には俺ではない誰かと永遠を誓う姉さんをこの目に焼き付けるんだろう。
それはなんという地獄なのだろうか。どうせいつか訪れる地獄なら、いっそ今突き落としてほしい。
いつだって思い出すのはあの日出会った姉さんの下がった目尻だ。
▼▲4年前▲▼
中学2年生だぞ。
この多感な時期に突然姉ができる俺の気持ちを考えたと言うなら、再婚は俺がもう少し大人に近づくのを待ってからしてほしかった。せめて高校卒業してからだろ。
色々と思うところはありながらも父親の幸せそうな顔を見ると、もう何も言えなかった。だからと言ってこれから一緒に暮らす姉に満面の笑みで挨拶する気にもなれなかった。
「これからよろしくね」
姉さんの声はどこまでも優しかった。
こくりと頷くのみで、はにかむことも目を合わすことすらしない俺に「きちんと顔を見なさい」と父親が咎める声を出した。まるで幼い子供に言い聞かせるかのようなそれに、罰が悪くなりチラリと姉さんを見やる。その瞬間、声よりも優しい眼差しが心を揺らした。全てを赦された気がした。
どうして父さんだけしかいないのと泣いたあの日を。
心ない言葉で友達を傷つけてしまったあの日を。
かけっこで1番になれなかったあの日を。
僕がやりましたと言い出せなかったあのことを。
嘘をついて、努力が報われなくて、泣いた、悔しくて辛い、残酷な、それでも確かに一生懸命生きていた今までの全てを。
そうか、これが一目惚れか。遅い初恋だった。
そしてその瞬間、俺は犯した最大の罪を理解した。
これだけは赦されない。誰にも赦されない。
ただ確かに心の中にある。
これは俺だけが知ることのできる唯一の光だ。
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