ここではないどこか
2
まだ眠そうに目を擦る透に「いってくるね」と言葉と共に口づけをおとした。
「待って……」
のそりと起き上がった透は緩慢な足取りで見送りのために玄関まで来てくれた。「お見送りありがとね。仕事頑張れそうだよ」と素直な気持ちを伝えると、幸せそうに頬が持ち上がる。頭頂部辺りについた寝癖がふわふわと揺れている。昨日しっかりと乾かしてたのにな……。思わずくすりと笑みが漏れた。
「がんばってね」
「透もがんばってね」
私の髪を一束掬った透がそこに唇をおとす。仕事用のメイクをした私の唇や顔に触れないことは透の気遣いだった。
「いってらっしゃい」
透の起きたての掠れた低い声が優しく響いた。
▼
エレベーターを待っていると後ろに誰かが立つ気配を感じた。反射的に振り返ると制服を着た男の子が気怠げに欠伸をしていた。
あ、欠伸を目撃しちゃうとは……気まずいやつだ。申し訳なく思いすぐさま顔を前方に向けようとすると、その男の子は「あれ?」と大きな目をさらに丸くした。
ん?知り合いかな……と考えて、もしかして……と彼の正体に合点がいった。
「透くんのお姉さん?」「赤葦瑞樹さん?」
声が重なると同時に到着したエレベーターの扉が開いた。少し気恥ずかしい。それは彼も同じだったようで、照れ隠しに笑い「とりあえず乗りますか」と私を中へ促した。
まだまだ幼さが残る顔つきに似合わず、扉を押さえてくれた手は血管が浮き出て筋張っていた。
「やっぱり瑞樹さんですか?」
「はい。透くんのお姉さんですよね?」
エレベーター前で行ったやりとりをなぞっていく。
「はい。挨拶が遅れてしまってすみません」
謝ると、「僕の方こそ」と謝り返された。
blends唯一の高校生である瑞樹さんは他のみんなと違い4月に引っ越してきていた。その頃に就職先で働き出したばかりの私とは中々都合がつかず、直接顔を合わせたのは今日が初めてだった。
「今からお仕事ですよね?どの辺りですか?」
「新宿です」
「じゃあ一緒の方向だ。行きましょう」
キラキラの屈託のない笑顔を向けられてたじろいでしまう。思わず頷いてしまったが、社会人になって制服姿の子と2人きりで歩いていることに些か不安を覚えた。しかも、朝!なんか変な目で見られないかな?私がついこの間までの大学生という肩書きだったならば何とも思っていなかっただろう。そもそも制服を着た透が常に隣にいたのだ。
しかしその透も高校生ではなくなってしまった。制服の無敵感って、着なくなってからまじまじと突きつけられるよなぁ……。
にしても、めっちゃ見られる……!先程からチラチラと窺うような視線をあちこちから投げかけられていた。見られるのは透で慣れているはずだった。だけどその比ではない。瑞樹さんは万人受けする顔なんだよなぁ……。
この顔がタイプじゃなくても、イケメンだねと誰もが認めてしまう、そんな癖のない整った顔をしていた。
「そんな見つめられると照れるんですけど……」
口元を手の甲で隠した瑞樹さんが私に視線を寄越す。
「わ、ごめんなさい。つい見惚れちゃって……」
「透くんの顔を毎日見てるのに?」
瑞樹さんが信じられないと言うふうに両眉を上げる。「それとこれとはまた別です」とはっきり言い切った私に、「じゃあ、素直にありがとうございます」と満面の笑みで応えてくれた。
見た目のあどけない雰囲気とは違い、生意気そうに細められる目とこざっぱりした性格が素敵だなと思った。
今は遠慮もあるのだろう。きちんと礼儀正しく接してくれているが、心を開いた相手には辛辣な物言いをしたり、あといたずらも好きそう。純粋そうに煌めく大きな瞳の奥に芯の強さを感じた。
「待って……」
のそりと起き上がった透は緩慢な足取りで見送りのために玄関まで来てくれた。「お見送りありがとね。仕事頑張れそうだよ」と素直な気持ちを伝えると、幸せそうに頬が持ち上がる。頭頂部辺りについた寝癖がふわふわと揺れている。昨日しっかりと乾かしてたのにな……。思わずくすりと笑みが漏れた。
「がんばってね」
「透もがんばってね」
私の髪を一束掬った透がそこに唇をおとす。仕事用のメイクをした私の唇や顔に触れないことは透の気遣いだった。
「いってらっしゃい」
透の起きたての掠れた低い声が優しく響いた。
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エレベーターを待っていると後ろに誰かが立つ気配を感じた。反射的に振り返ると制服を着た男の子が気怠げに欠伸をしていた。
あ、欠伸を目撃しちゃうとは……気まずいやつだ。申し訳なく思いすぐさま顔を前方に向けようとすると、その男の子は「あれ?」と大きな目をさらに丸くした。
ん?知り合いかな……と考えて、もしかして……と彼の正体に合点がいった。
「透くんのお姉さん?」「赤葦瑞樹さん?」
声が重なると同時に到着したエレベーターの扉が開いた。少し気恥ずかしい。それは彼も同じだったようで、照れ隠しに笑い「とりあえず乗りますか」と私を中へ促した。
まだまだ幼さが残る顔つきに似合わず、扉を押さえてくれた手は血管が浮き出て筋張っていた。
「やっぱり瑞樹さんですか?」
「はい。透くんのお姉さんですよね?」
エレベーター前で行ったやりとりをなぞっていく。
「はい。挨拶が遅れてしまってすみません」
謝ると、「僕の方こそ」と謝り返された。
blends唯一の高校生である瑞樹さんは他のみんなと違い4月に引っ越してきていた。その頃に就職先で働き出したばかりの私とは中々都合がつかず、直接顔を合わせたのは今日が初めてだった。
「今からお仕事ですよね?どの辺りですか?」
「新宿です」
「じゃあ一緒の方向だ。行きましょう」
キラキラの屈託のない笑顔を向けられてたじろいでしまう。思わず頷いてしまったが、社会人になって制服姿の子と2人きりで歩いていることに些か不安を覚えた。しかも、朝!なんか変な目で見られないかな?私がついこの間までの大学生という肩書きだったならば何とも思っていなかっただろう。そもそも制服を着た透が常に隣にいたのだ。
しかしその透も高校生ではなくなってしまった。制服の無敵感って、着なくなってからまじまじと突きつけられるよなぁ……。
にしても、めっちゃ見られる……!先程からチラチラと窺うような視線をあちこちから投げかけられていた。見られるのは透で慣れているはずだった。だけどその比ではない。瑞樹さんは万人受けする顔なんだよなぁ……。
この顔がタイプじゃなくても、イケメンだねと誰もが認めてしまう、そんな癖のない整った顔をしていた。
「そんな見つめられると照れるんですけど……」
口元を手の甲で隠した瑞樹さんが私に視線を寄越す。
「わ、ごめんなさい。つい見惚れちゃって……」
「透くんの顔を毎日見てるのに?」
瑞樹さんが信じられないと言うふうに両眉を上げる。「それとこれとはまた別です」とはっきり言い切った私に、「じゃあ、素直にありがとうございます」と満面の笑みで応えてくれた。
見た目のあどけない雰囲気とは違い、生意気そうに細められる目とこざっぱりした性格が素敵だなと思った。
今は遠慮もあるのだろう。きちんと礼儀正しく接してくれているが、心を開いた相手には辛辣な物言いをしたり、あといたずらも好きそう。純粋そうに煌めく大きな瞳の奥に芯の強さを感じた。