ここではないどこか
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電車に揺られながら私はシューズケースを大事に抱えた。親指が無意識に黒い布地を優しく撫でる。ガタンゴトンと規則的に揺れる車体が夢の世界へと導こうとしている。あぁ、だめだ……寝ちゃいそう……そう思ったと同時に車内アナウンスが目的駅への到着を告げた。弾かれたように起き上がり急いで電車から降りて、ホームに設置してある構内地図と周辺地図を見比べる。
「えっと……あ、あった。3番出口か」
休日のお昼だというのにホームに人が大勢いるのは先程から繰り返し放送されている遅延のせいかな。少し汗ばんだ身体を冷やしたくて、パーカーの胸元をパタパタと仰ぎながら階段を上り、地上を目指した。
あと少しで地上に出られる……思っていたより続いた階段に息を切らしながら最後の段に足をかけた瞬間「透のお姉さん?」と右肩を叩かれた。突然かけられた声に驚き、反射的に振り返るとそこにはとびきり顔の良い男性が窺うように立っていた。
「あ、はい、透の姉です」
しどろもどろになりながらなんとかそう返すとその男性が破顔する。通行人の邪魔にならないようにと、地上に出た後端に寄ってから自己紹介を始めたその男性に好印象を抱いた。
「突然すみません。俺、青木仁ていいます」
それを聞いて納得した。「あぁ!透がいつもお世話になっております」慌てて頭を下げた私に彼も倣った。
「いや、こちらこそお世話になっております」
同時に頭を起こした視線が交わり、そして破顔する。なんて素敵に笑う人だろう、と思った。
私の中でのイケメンの基準は言わずもがな弟の透である。初めて会った日それはそれは驚いた。中学2年生と聞いてはいたが、これは……もはや完成されているのでは?と圧倒されたのだ。
「よろしくね」と挨拶をした自分にはにかむことも目を合わすこともしない透は美しかった。横に大きい切長の目は憂いを帯び、下瞼に影を落とすまつ毛が色香を纏っていた。スッと通った鼻筋と主張の少ない唇が全体をまとめあげ、彫刻のようだと感嘆のため息を漏らしそうになる自分をぐっと律した。そして父親に咎められことにより微かに合わされた視線を感じたその瞬間、鋭い三白眼が私を射抜いた。
神様が時間をかけて丁寧に造ったであろう繊細な造形とは似つかわしくないほどの痺れるような視線だった。
私は仁さんの顔の良さに圧倒されると同時に透には感じなかった温かみを感じていた。透は彫刻のような無機質な雰囲気だけど、仁さんは華やかで……なんだろ、例えるなら王子様?みたいな周りを惹きつける魅力がある。
私が小顔だと思っている透のさらに一回りほど小さな顔に上品なパーツがきちんと正しい位置に収められている。これが黄金比というものかもしれないと思った。
そしてなんといっても今しがた心ときめいた懐っこい笑顔。誠実さの上に茶目っ気をスパイスとして振りかけた仁さんの笑顔は彼の人柄を表しているようだった。
仁さんは今から事務所に行ってダンスレッスンに参加するところだと言った。先程の遅延に巻き込まれていたようで、「遅刻なんですけど」と明るく笑う。
「透にバッシュ届けますよ」
私の右手に下げられたシューズケースを指差して目を細めた。この笑顔を見せられてどきりとしない方が失礼なんじゃないかな?とすら思う。
お願いします、と言おうとした私の声を遮って「あ、でも」と仁さんが眉間に皺を寄せて悩み出した。
「えっと……」
「あ、香澄です。黒岩香澄です」
探るような余韻に名前を告げていないことを気付かされ慌てて伝えると、仁さんが小さく「かすみさん」と繰り返した。なんだかくすぐったい。
「かすみさん、この後予定がないなら一緒に事務所まで来てもらえませんか?透の承諾なしに帰すのはどうかな、って思って」
申し訳なさげに下げられた眉まで美しいんだなぁ、なんて的外れなことを考えながら頷いた。
電車に揺られながら私はシューズケースを大事に抱えた。親指が無意識に黒い布地を優しく撫でる。ガタンゴトンと規則的に揺れる車体が夢の世界へと導こうとしている。あぁ、だめだ……寝ちゃいそう……そう思ったと同時に車内アナウンスが目的駅への到着を告げた。弾かれたように起き上がり急いで電車から降りて、ホームに設置してある構内地図と周辺地図を見比べる。
「えっと……あ、あった。3番出口か」
休日のお昼だというのにホームに人が大勢いるのは先程から繰り返し放送されている遅延のせいかな。少し汗ばんだ身体を冷やしたくて、パーカーの胸元をパタパタと仰ぎながら階段を上り、地上を目指した。
あと少しで地上に出られる……思っていたより続いた階段に息を切らしながら最後の段に足をかけた瞬間「透のお姉さん?」と右肩を叩かれた。突然かけられた声に驚き、反射的に振り返るとそこにはとびきり顔の良い男性が窺うように立っていた。
「あ、はい、透の姉です」
しどろもどろになりながらなんとかそう返すとその男性が破顔する。通行人の邪魔にならないようにと、地上に出た後端に寄ってから自己紹介を始めたその男性に好印象を抱いた。
「突然すみません。俺、青木仁ていいます」
それを聞いて納得した。「あぁ!透がいつもお世話になっております」慌てて頭を下げた私に彼も倣った。
「いや、こちらこそお世話になっております」
同時に頭を起こした視線が交わり、そして破顔する。なんて素敵に笑う人だろう、と思った。
私の中でのイケメンの基準は言わずもがな弟の透である。初めて会った日それはそれは驚いた。中学2年生と聞いてはいたが、これは……もはや完成されているのでは?と圧倒されたのだ。
「よろしくね」と挨拶をした自分にはにかむことも目を合わすこともしない透は美しかった。横に大きい切長の目は憂いを帯び、下瞼に影を落とすまつ毛が色香を纏っていた。スッと通った鼻筋と主張の少ない唇が全体をまとめあげ、彫刻のようだと感嘆のため息を漏らしそうになる自分をぐっと律した。そして父親に咎められことにより微かに合わされた視線を感じたその瞬間、鋭い三白眼が私を射抜いた。
神様が時間をかけて丁寧に造ったであろう繊細な造形とは似つかわしくないほどの痺れるような視線だった。
私は仁さんの顔の良さに圧倒されると同時に透には感じなかった温かみを感じていた。透は彫刻のような無機質な雰囲気だけど、仁さんは華やかで……なんだろ、例えるなら王子様?みたいな周りを惹きつける魅力がある。
私が小顔だと思っている透のさらに一回りほど小さな顔に上品なパーツがきちんと正しい位置に収められている。これが黄金比というものかもしれないと思った。
そしてなんといっても今しがた心ときめいた懐っこい笑顔。誠実さの上に茶目っ気をスパイスとして振りかけた仁さんの笑顔は彼の人柄を表しているようだった。
仁さんは今から事務所に行ってダンスレッスンに参加するところだと言った。先程の遅延に巻き込まれていたようで、「遅刻なんですけど」と明るく笑う。
「透にバッシュ届けますよ」
私の右手に下げられたシューズケースを指差して目を細めた。この笑顔を見せられてどきりとしない方が失礼なんじゃないかな?とすら思う。
お願いします、と言おうとした私の声を遮って「あ、でも」と仁さんが眉間に皺を寄せて悩み出した。
「えっと……」
「あ、香澄です。黒岩香澄です」
探るような余韻に名前を告げていないことを気付かされ慌てて伝えると、仁さんが小さく「かすみさん」と繰り返した。なんだかくすぐったい。
「かすみさん、この後予定がないなら一緒に事務所まで来てもらえませんか?透の承諾なしに帰すのはどうかな、って思って」
申し訳なさげに下げられた眉まで美しいんだなぁ、なんて的外れなことを考えながら頷いた。