ここではないどこか

 スマホが着信を知らせる。

「あ、仁くんだ。着いたかな?」

 スピーカーにするとレッスン場に仁くんの声が響いた。

「もしもし、透?」
「うん、着いた?遅延お疲れだったね」
「今着いた、ごめんな。お待たせ」

 仁くんの謝罪を聞きながら瑞樹が「大丈夫。時間通りに来ても透くんのバッシュ待ちだったよ」と意地悪く笑った。くすりと仁くんが控えめに笑った後、「それなんだけど」と言葉を繋げる。

「ちょうど透のお姉さんと会ったよ。今一緒に歩いて事務所に向かってる」

 どくりと大きな音が身体の中で聞こえた。俺が一番かっこいいと尊敬している仁くん。年上なのに全然威張ってなくて、俺たちに目線を合わせてくれる仁くん。本当は人一倍真面目なのにそんなところ微塵も出さずに、なんてことないよって顔してる仁くん。良いところをたくさん知っている人ほど、姉さんに会わせたくないことを誰かわかってくれるだろうか。

「透からバッシュの件で連絡もらってて良かったわ。シューズケース見てすぐにわかった」

 報連相は大事だからって教えてくれたのも仁くん。

「今どこ?俺からもらいに行くよ」

 1秒でも長く一緒にいてほしくないと思う醜い心は声に出ていなかっただろうか。「もうすぐ事務所だからエントランスで待ってる」仁くんが言い終わる前に焦ったいと切った電話の不通音が早く早くと背中を押した。

「行ってくる」
「きをつけてね」

 そう言ったのは智宏か瑞樹か、それすらもわからずにただ急いだ。なにをこんなに焦ることがあるんだろう。俺がどれだけ焦って不安に思っても、姉さんが誰かを好きになる事実を止めることはできないのに。

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