ここではないどこか

「お疲れ様、かんぱい!」

 冷蔵庫で冷やされたビールが身体を巡る。瑞樹くんだけが変わったと思ったが、出会った頃のカクテルしか飲めなかった私ももういない。今ではビールもワインも日本酒も飲めるようになった。

「おいしい!けど、ビールはやっぱり夏の方がおいしね」
「はい、文句言うなら飲まなくてよろしい」
「わぁ、ごめんてばー!」

 他人から見れば理解されないことで笑い合う瞬間が楽しい。瑞樹くんの前では素直な私でいられた。

「そういえば、後輩の子がみどりちゃん?なんだって」
「へぇ。誰のファンだって?」
「智宏くん」
「なんだそれ!絶対俺が一番じゃん!」
「たぶんね、そういうのが透けて見えない謙虚さがいいんだよ、智宏くんは」

 私の言葉に、面白くない、と瑞樹くんが顔を歪ませた。もう数え切れないほど会っている瑞樹くんだが、彼の方からblendsの話を持ち出すことは一切なかった。それは不自然なほど。
 もちろん私も好き好んで話す内容ではなかった。だからこうして直接的な話をするのはあの日から初めてのことだった。
 もう3年以上経っている。透の名前は出せないにしても、少しずつ、本当に少しずつだけど前に進めるような気がした。

「ありがとね、今まで私に付き合ってくれて。もう大丈夫な気がする」
「はぁー?俺が今まで香澄さんの為だけに一緒にいたってこと?自意識過剰すぎ」

 瑞樹くんの辛辣な物言いは相変わらずなのだ。漏れ出たのは苦笑いではなく、感謝の笑みだった。

「んだよ。一緒に居て楽しいって思ってる。だから今も一緒に居る。それって俺だけなの?」
「ううん。私も瑞樹くんと一緒にいると楽しいよ。それに瑞樹くんといる自分のことも好きなの」

 いつ頃からかなくなった色気を含んだ雰囲気が2人の間に横たわり始めた。もしかして、彼は今まで押し殺してくれていたのだろうか。あの「駆け引きが苦手なんだ!」と言い切った瑞樹くんが?

「すげぇ殺し文句」

 瑞樹くんが微笑む。彼は好きな人にはこんな風に笑いかけるのだなぁ、とどこか他人事の様に感じた。

「俺、今すごいダサい感じになってる……。好きって伝えるのって怖いんだね」
「だって、愛することは責め苦を受けるのと同じなんでしょう?」
「……ふふっ……。そうだった、そうだった」

 過去を思い返しながら笑った目を私に向けて一呼吸。

「やっぱすごい好きなんですよね」

 瑞樹くんはあの頃よりも丁寧に言葉を紡いだ。まん丸な大きい瞳がゆらゆらと揺れている。

「いい、返事はいい!ダサすぎるけど、自信がないから!だけど聞かなかったことにはしないで。きちんと受け止めて。その上で今まで通り一緒に居て」
「……わかった」
「俺、めっちゃかっこ悪いし、ずるいね」
「ずるいのは私だよ」

 だって今返事をしなくていいと言われたことに安心したから。瑞樹くんを失ってしまえば私は本当に一人になってしまう。私の心が壊れてしまわないように、瑞樹くんを利用しているのだ。

 私は罰を与えられるとわかっていてもきっと同じ過ちを犯すだろう。
 人に必要とされることは麻薬だ。狂おしいほどに求められることは甘美だ。罪は恐ろしく甘いのだ。
 心のどこかで、いや、もしかしたら中心かもしれない。私は瑞樹くんを通して、その向こう側にいる透を見ている。
 切っても切れない血縁というものを手に入れておきながら、それでも繋がりを少しでも太くしたくて、私は瑞樹くんを利用しているのだ。
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