ここではないどこか

5

 熱に浮かされた頭じゃ、考えられることなんてたかが知れている。

 ライブ終わり、ぼうとして、反応が鈍い私を見た峯田さんは「わかります。感極まると放心しちゃいますよね」と好意的に捉えてくれた。
 そのまま晩ご飯に誘ってくれた峯田さんに断りを入れて、私は家路に着いた。なんだか今日は一人で思い出に浸りたかったのだ。
 ご飯を食べる気にもなれなくて、冷蔵庫にあったチョコレートを一粒口に放り込んでお風呂に入った。

「ここではないどこかへ」

 持ち込んだスマホのネット検索欄に打ち込むと、歌詞全文と曲の情報が表示された。悩みながらも生き方を模索する大学生にスポットライトを当てた群像劇ドラマのタイアップ曲のようで、明るいけれどどこかノスタルジックを感じるメロディラインがぴったりだと思った。

"僕の手をつかんで"
"怖いことなど一つもない"
"共にゆこう"
"君さえいればそれでいい"
"君は僕の運命"
"君が僕の光"
"僕は君だよ"

 羅列された文字を追う。スマホ画面を無意識に親指が撫でる。これはきっとラブレターだ。気を抜けばそう感じてしまう浅ましい心を咎める。
 三歩進んで二歩下がっているわけではない。私は一歩進んで二歩下がっている状態だ。それでも一歩あるけたことを褒めてあげようか……。
 瑞樹くんはきっと「しょうがない人」だと言いながら褒めてくれるだろうな。私は自嘲の笑みを浮かべて涙を流した。
 悲しいことなどない。なにもないのだ。


 どうしても会いたいと思った。ライブ終わりで気分が高揚していたこともあっただろう。しかも今日は東京公演の最終日で、明日はオフだ。それに何より、3日前に渡せなかった誕生日プレゼントを渡したかった。
 渡せなかったのは香澄さんが酔ってしまったせいだけど。

「瑞樹も俺んち来るだろ?」
「ごめん。予定があって!じゃあ、また!」

 智宏くんと透くんは仁くんの部屋で出前をとるみたいだった。俺は断りを入れて足早にお願いしていた送迎車に乗り込む。
 約束なんてしていないけれど、今日はそれでも会える予感があった。
 早く会いたい。顔を見てしまえば勢い余って抱き締めてしまうかもしれない、と自分の理性に自信が持てない。

「もしもし、香澄さん?あ、ごめん。お風呂だった?……いや、会いたいと思って。……それが、なんなら今向かってる」

 香澄さんが電話越しに「疲れてない?」と心配そうな声を出した。

「大丈夫。いや、疲れてるんだけど、会いたい」

 そう発した自分の声の甘さに驚いた。心底愛していると、声音すら伝えている。

「待ってる」

 はっきりと言い切った香澄さんの声にも愛が含まれていればいいのに。
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