ここではないどこか

 「別れたい」香澄さんのその言葉に俺は意外なほど冷静だった。きっとそれはここ数ヶ月の間に感じた些細な違和感のせいだろう。
 
 合コンに行った日の夜だろう。
 俺は合コンに参加すると言った香澄さんに呆れていた。だけど、そこに嫉妬や焦燥などはなかった。ただ、香澄さんの俺への扱いの雑さと無神経さに呆れていたのだ。
 なぜ嫉妬や焦燥感を感じないか。それは香澄さんが俺以外を選ばない自信があったからだ。これは自惚れでもなんでもなく、紛れもない事実だ。
 香澄さんは自分でも気づいていないだろうが、だけど彼女の中には明確な基準があった。
 それは透くんかそれ以外か、ということだ。唯一無二が透くん、その次に透くんと関わりのある男、つまり俺の存在がここだ。そしてそれ以外。
 だから透くんとなんら関わりのない男が参加する合コンなんて心配などしていなかった。
 俺から香澄さんを奪っていく可能性がある人、それは黒岩透、ただ一人だけだという確信があった。
 
 だから香澄さんの心が離れたな、という雰囲気を感じとった瞬間、それは必然的に透くんとなにかあったな、ということになったわけだった。

「どうして?透くんとなにかあった?」

 俺はその言葉が香澄さんと俺自信を追い詰めると知りながら、避けることは絶対にしなかった。したくなかった。
 狡くて弱い香澄さん、最後はどうかその手で介錯をしてください。それが俺の望みだ。

「……なにかあったわけじゃない。ただ好きなの、そばにいたいの」
「血が繋がった実の弟なのに?」

 俺は今どんな顔をしているのだろうか。大切に育てた恋が死んでいく。俺の手で花を手折り、枯らしていくしかないのだ。

「そうだよ。私は弟の透が好き」

 言い切った香澄さんは俺とは対照的に晴れやかだった。枯れていくしかない恋と今からも大切にされるだろう恋。惨めだ。すごく、惨めだ。

「……そう。誰にも理解されない、認めてもらえない。全てを失うかもしれないよ?それでも?」

 あなたはどうして確かにあった俺との幸せを手放すことができるのだろうか。

「それでも。私が透と一緒にいたい」

 揺るがない、芯の強い瞳。俺との恋の中で揺るがないものはあったのだろうか。

 俺はあなたみたいな八方美人の優柔不断な人が大嫌いだ。誰かの気持ちを考えているフリして本当は自分の気持ちを守ることばかり。それなのにどうしてこんなに好きになってしまったのかな。
 あなたにとって透くん以外はみんな等しく同じだよ。俺じゃなくても、例えば仁くんや智宏くんでもあなたは好きになって縋ってた。たまたま距離を縮めるのが早かったのが俺だったってだけだ。あなたにとっての特別は透くんだけなんだよ。

 言いたかったことは結局言えなかった。

「もう疲れた……。透くんと2人、どこへでもいけばいい。ここじゃないどこかで幸せになって」

 嘘だ。俺じゃない誰かと幸せになんてならないで。この先あなたが一生不幸ならそれでいい。
 そしてその不幸の狭間で俺との幸せを思い出してほしい。そして俺を呼んで。
 そうしたら俺は全て忘れてあなたの元へ飛んで行くから。不幸から掬い上げるから。
 だからどうか、幸せにならないで。
 
 これは呪いだ。俺からの最後のプレゼントだ。
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