仮面舞踏会を騒がせる謎の令嬢の正体は、伯爵家に勤める地味でさえない家庭教師です
18、強引な誘い
「え……、えっ⁉」
「授業が終わる頃に迎えに行くよ。帰りもお家まで送るし。街の花屋かどっかで、もう少し詳しい話を聞きたいなぁ」
(ど、どうしよう……)
オーランドの知り合いと仲良くするのはちょっと……。
しかし、相手は貴族。のらりくらりと誘いをかわせたバイオレットとは違い、ただの家庭教師であるリコリスでは断ることもできない。
「で、でも、そんな、わたしの知識なんて大した事ありませんし」
「いいからいいから。さ、ほら、授業に遅れちゃうよ」
気づけば馬車は伯爵邸の前に止まっていた。断り切れないまま馬車を降ろされ、リコリスは溜息をつく。仕事の後で迎えに来られてしまったら、もうどうしようもない。
少々上の空で授業をこなしていると、終了時刻よりもやや早い時間にメイドがやってきた。お茶の時間には早いため、チェルシーもターニャもきょとんとしている。
「あのう……。グレッグ様が、リコリス先生をお迎えにきた、とおっしゃっているのですが……」
メイドも困惑気味だ。
オーランドの知人であるグレッグがリコリスを迎えに来る意味がわからないといった表情に同情してしまう。
「グレッグ様が? リコリス先生を?」
「まあ。お二人は仲良しだったの?」
「いえ、たまたまここに来る前にお会いして、お花のことを教えて欲しいと……。あの、まだお嬢様たちの授業中ですし、少々お待ちいただいても構わないでしょうか?」
「そうですわよね。応接室でお待ちいただきますわ」
メイドを見送るとチェルシーたちはブーイングだった。
「リコリス先生! わたしたちのことは気にしないで?」
「そうそう。たまには早く授業を終わったっていいんじゃなぁい?」
「いえ、ダメです。わたしの私的な用事より、お嬢様たちの授業を優先させるのは当たり前のことです」
残り三十分間の授業を終え、リコリスはのろのろと応接間に向かう。
困った。あまり邪険にもできないし、愛想よくして媚を売っていると思われるのも嫌だ。
伯爵家の雇われ家庭教師ごときが誘いを断ったと言われても困るし、誘いに応じて変な噂を立てられても困るし……。
「どういうつもりだ、グレッグ!」
応接間から怒声が聞こえてきたので驚いた。オーランドの声だ。慌てて駆け付けると、外出先から帰ってきたばかりらしいオーランドが立ったままで怒っている。
グレッグの方は泰然と座り、不思議なものを見るように首を傾げた。
「デートって言い方が気に障ったのか? リコリスちゃんに頼みがあって、出かける用事があるって言えばいい? でも、なんでオーランドにそんなに怒られなきゃなんないの?」
「それは……」
「……あれ? もしかしてあの子、もうオーランドのお手付き?」
ぐっ、とオーランドが一瞬言葉に詰まる。
やめてよ、変な勘違いされたら――リコリスは聞いていられなくなり、急いでやってきたふりをして応接間に入った。
「グレッグ様! あの、申し訳ありません。ずいぶんお待たせしてしまったみたいで……」
「あー、ごめんごめ~ん。なんか待ちきれなくてさ。こっちこそ急かしちゃってごめんね」
気軽な調子で手を上げるグレッグとは反対に、オーランドは冷たい目でリコリスを睨んだ。
「お前……。仕事の後に男と逢引きとはいい身分だな」
「……申し訳、ありません」
「いや、リコリスちゃんは悪くないよ。オーランド、彼女に当たるのはやめろよ」
グレッグがリコリスを庇う。
オーランドはますます苛立った顔をしていた。
(オーランド様は、グレッグ様にわたしがバイオレットだとバラしてはいないんだわ。……でも、グレッグ様の方は……)
リコリスとオーランドの関係を怪しんでいる?
バイオレットの正体ではないかと推測しているのか、それともただ単に、オーランドが身分の低い女に手を出していると面白がっているだけなのか……。リコリスには判断がつかない。
「うちの家庭教師がふしだらな女などと噂が立っては迷惑だ」
オーランドに一睨みされ、リコリスは慌てて首をすくめてみせる。
「どの口が言うんだよ。リコリスちゃん、気にしちゃだめだよ」
「……いえ、あの、そもそもわたしのような地味な女がグレッグ様の隣にいても勘違いされることなどありえませんし……」
「地味? そうかなあ?」
グレッグの手が、リコリスがお下げにしているリボンをほどいた。
三つ編みのせいで癖がついた亜麻色の髪が広がり、リコリスの顔の輪郭をふんわりと柔らかく隠す。
「っ、グレッグ様⁉」
「ほら。髪を下ろせばこんなに色っぽい。……そんな流行遅れの服じゃなくて、もっと可愛いドレスを着て、お化粧をすれば、すごく綺麗だと思うんだけどなあ……」
「グレッグ!」
オーランドはリコリスの手を掴むと、庇うように自分の背に隠した。
「いい加減にしろ! 伯爵家が雇っている家庭教師だ」
「……じゃあ、僕も雇おうかな。リコリスちゃん、うちに授業しに来てくれる?」
「ふざけるな。お前、奥方がいるくせに……」
「あーもー冗談だって。オーランド、よっぽどリコリスちゃんのこと、気に入ってるんだね」
にんまり笑ったグレッグに、リコリスはうすら寒いものを感じた。
半分笑って半分泣いた道化師の仮面がグレッグの顔に見えたような気がして、思わずオーランドの陰に隠れるように身体を動かしてしまう。
「馬鹿馬鹿しい。うちに出入りしている家庭教師に変な噂を立てられたら困るからだ」
「ああ。それなら仕事じゃないときに誘うことにしよう」
「いい加減にしろと言っているだろう」
「さっきから何~? 彼女がプライベートに誰とどこに行こうが、オーランドには関係ないよね?」
冷たく言い捨てたグレッグに気圧されたかのようにオーランドが怯む。
グレッグの言う通りで、恋人でもなんでもないオーランドがリコリスのプライベートに口出しをするなんておかしな話だ。オーランドもわかっているのだろう。
「さて、オーランドが怖いから今日のところは帰ろうかな」
グレッグはさっと立ち上がると出ていった。
オーランドはチッと舌打ちをしてその背を睨みつけている。グレッグが出ていってもオーランドがその場から動かないので、リコリスはおそるおそる声を掛けた。
「あの……」
「送る」
「はい?」
「男爵家まで送ると言っている」
いらいらした口調のまま、オーランドはリコリスの手を引いたまま歩き出す。振りほどけずに、リコリスは困惑したままオーランドに従うことになった。
◇
応接間を出た二人は気が付かなかったが……。
「……わたしたち、すごい場面に居合わせてしまったわ……」
窓の外では、チェルシーとターニャがしゃがみ込んだ状態で三人のやりとりを盗み聞きしていた。特に、グレッグがリコリスのリボンをほどき、オーランドが怒ってリコリスを背に庇ったシーンでは、声を漏らさないようにお互いがお互いの口を塞いでしまった。
「ねえ、お兄さまはリコリス先生が好きだったの?」
「いじわるなことを言っていたのは、リコリス先生の気を引きたかったから?」
「しかもグレッグ様まで……。これって、三角関係?」
「きゃあ! リコリス先生ったらすごい!」
「まるで恋愛小説みたい……。ステキ!」
身近な人間の恋模様は少女たちの関心を惹くにはじゅうぶんすぎるほどに魅力的だ。
二人はオーランドやリコリスに見つからないよう、こそこそと屋敷の中に戻っていった。
これから部屋に戻って作戦会議だ。
「授業が終わる頃に迎えに行くよ。帰りもお家まで送るし。街の花屋かどっかで、もう少し詳しい話を聞きたいなぁ」
(ど、どうしよう……)
オーランドの知り合いと仲良くするのはちょっと……。
しかし、相手は貴族。のらりくらりと誘いをかわせたバイオレットとは違い、ただの家庭教師であるリコリスでは断ることもできない。
「で、でも、そんな、わたしの知識なんて大した事ありませんし」
「いいからいいから。さ、ほら、授業に遅れちゃうよ」
気づけば馬車は伯爵邸の前に止まっていた。断り切れないまま馬車を降ろされ、リコリスは溜息をつく。仕事の後で迎えに来られてしまったら、もうどうしようもない。
少々上の空で授業をこなしていると、終了時刻よりもやや早い時間にメイドがやってきた。お茶の時間には早いため、チェルシーもターニャもきょとんとしている。
「あのう……。グレッグ様が、リコリス先生をお迎えにきた、とおっしゃっているのですが……」
メイドも困惑気味だ。
オーランドの知人であるグレッグがリコリスを迎えに来る意味がわからないといった表情に同情してしまう。
「グレッグ様が? リコリス先生を?」
「まあ。お二人は仲良しだったの?」
「いえ、たまたまここに来る前にお会いして、お花のことを教えて欲しいと……。あの、まだお嬢様たちの授業中ですし、少々お待ちいただいても構わないでしょうか?」
「そうですわよね。応接室でお待ちいただきますわ」
メイドを見送るとチェルシーたちはブーイングだった。
「リコリス先生! わたしたちのことは気にしないで?」
「そうそう。たまには早く授業を終わったっていいんじゃなぁい?」
「いえ、ダメです。わたしの私的な用事より、お嬢様たちの授業を優先させるのは当たり前のことです」
残り三十分間の授業を終え、リコリスはのろのろと応接間に向かう。
困った。あまり邪険にもできないし、愛想よくして媚を売っていると思われるのも嫌だ。
伯爵家の雇われ家庭教師ごときが誘いを断ったと言われても困るし、誘いに応じて変な噂を立てられても困るし……。
「どういうつもりだ、グレッグ!」
応接間から怒声が聞こえてきたので驚いた。オーランドの声だ。慌てて駆け付けると、外出先から帰ってきたばかりらしいオーランドが立ったままで怒っている。
グレッグの方は泰然と座り、不思議なものを見るように首を傾げた。
「デートって言い方が気に障ったのか? リコリスちゃんに頼みがあって、出かける用事があるって言えばいい? でも、なんでオーランドにそんなに怒られなきゃなんないの?」
「それは……」
「……あれ? もしかしてあの子、もうオーランドのお手付き?」
ぐっ、とオーランドが一瞬言葉に詰まる。
やめてよ、変な勘違いされたら――リコリスは聞いていられなくなり、急いでやってきたふりをして応接間に入った。
「グレッグ様! あの、申し訳ありません。ずいぶんお待たせしてしまったみたいで……」
「あー、ごめんごめ~ん。なんか待ちきれなくてさ。こっちこそ急かしちゃってごめんね」
気軽な調子で手を上げるグレッグとは反対に、オーランドは冷たい目でリコリスを睨んだ。
「お前……。仕事の後に男と逢引きとはいい身分だな」
「……申し訳、ありません」
「いや、リコリスちゃんは悪くないよ。オーランド、彼女に当たるのはやめろよ」
グレッグがリコリスを庇う。
オーランドはますます苛立った顔をしていた。
(オーランド様は、グレッグ様にわたしがバイオレットだとバラしてはいないんだわ。……でも、グレッグ様の方は……)
リコリスとオーランドの関係を怪しんでいる?
バイオレットの正体ではないかと推測しているのか、それともただ単に、オーランドが身分の低い女に手を出していると面白がっているだけなのか……。リコリスには判断がつかない。
「うちの家庭教師がふしだらな女などと噂が立っては迷惑だ」
オーランドに一睨みされ、リコリスは慌てて首をすくめてみせる。
「どの口が言うんだよ。リコリスちゃん、気にしちゃだめだよ」
「……いえ、あの、そもそもわたしのような地味な女がグレッグ様の隣にいても勘違いされることなどありえませんし……」
「地味? そうかなあ?」
グレッグの手が、リコリスがお下げにしているリボンをほどいた。
三つ編みのせいで癖がついた亜麻色の髪が広がり、リコリスの顔の輪郭をふんわりと柔らかく隠す。
「っ、グレッグ様⁉」
「ほら。髪を下ろせばこんなに色っぽい。……そんな流行遅れの服じゃなくて、もっと可愛いドレスを着て、お化粧をすれば、すごく綺麗だと思うんだけどなあ……」
「グレッグ!」
オーランドはリコリスの手を掴むと、庇うように自分の背に隠した。
「いい加減にしろ! 伯爵家が雇っている家庭教師だ」
「……じゃあ、僕も雇おうかな。リコリスちゃん、うちに授業しに来てくれる?」
「ふざけるな。お前、奥方がいるくせに……」
「あーもー冗談だって。オーランド、よっぽどリコリスちゃんのこと、気に入ってるんだね」
にんまり笑ったグレッグに、リコリスはうすら寒いものを感じた。
半分笑って半分泣いた道化師の仮面がグレッグの顔に見えたような気がして、思わずオーランドの陰に隠れるように身体を動かしてしまう。
「馬鹿馬鹿しい。うちに出入りしている家庭教師に変な噂を立てられたら困るからだ」
「ああ。それなら仕事じゃないときに誘うことにしよう」
「いい加減にしろと言っているだろう」
「さっきから何~? 彼女がプライベートに誰とどこに行こうが、オーランドには関係ないよね?」
冷たく言い捨てたグレッグに気圧されたかのようにオーランドが怯む。
グレッグの言う通りで、恋人でもなんでもないオーランドがリコリスのプライベートに口出しをするなんておかしな話だ。オーランドもわかっているのだろう。
「さて、オーランドが怖いから今日のところは帰ろうかな」
グレッグはさっと立ち上がると出ていった。
オーランドはチッと舌打ちをしてその背を睨みつけている。グレッグが出ていってもオーランドがその場から動かないので、リコリスはおそるおそる声を掛けた。
「あの……」
「送る」
「はい?」
「男爵家まで送ると言っている」
いらいらした口調のまま、オーランドはリコリスの手を引いたまま歩き出す。振りほどけずに、リコリスは困惑したままオーランドに従うことになった。
◇
応接間を出た二人は気が付かなかったが……。
「……わたしたち、すごい場面に居合わせてしまったわ……」
窓の外では、チェルシーとターニャがしゃがみ込んだ状態で三人のやりとりを盗み聞きしていた。特に、グレッグがリコリスのリボンをほどき、オーランドが怒ってリコリスを背に庇ったシーンでは、声を漏らさないようにお互いがお互いの口を塞いでしまった。
「ねえ、お兄さまはリコリス先生が好きだったの?」
「いじわるなことを言っていたのは、リコリス先生の気を引きたかったから?」
「しかもグレッグ様まで……。これって、三角関係?」
「きゃあ! リコリス先生ったらすごい!」
「まるで恋愛小説みたい……。ステキ!」
身近な人間の恋模様は少女たちの関心を惹くにはじゅうぶんすぎるほどに魅力的だ。
二人はオーランドやリコリスに見つからないよう、こそこそと屋敷の中に戻っていった。
これから部屋に戻って作戦会議だ。