仮面舞踏会を騒がせる謎の令嬢の正体は、伯爵家に勤める地味でさえない家庭教師です
25、エピローグ

 ◇◇◇

「お兄さまー! リコリスせんせえー! こっちこっち!」

 よく晴れた空の下、見晴らしのいい丘の上でターニャがぶんぶんと手を振っている。

 今日はチェルシーとターニャ主催のお茶会……もとい、ピクニックだ。なんでも、リコリスの実家を訪ねてくれた日にするはずだった予定のリベンジなんだとか。

 先に到着した伯爵家の使用人たちがずいぶんと頑張って用意してくれたらしく、木陰の下には敷物が敷かれ、バスケットにはサンドイッチやスコーンなどが詰め込まれていた。日当たりの良い丘の上には、愛らしい小花が下生えになっている。

 男爵家まで迎えに来てくれたオーランドと共に到着したリコリスは、スカートをつまんでお辞儀をした。

「二人とも、今日はお招きありがとう。とっても楽しみにしていたのよ」
「えへへへ。リコリス先生と一緒にピクニックに行きたいってずっと思っていたから、実現できて良かった!」

 ターニャも気取ってちょこんと膝を折り、そしてはにかむ。そんな妹の脇をチェルシーがつついた。

「もうっ、ターニャったら、『先生』じゃないでしょ?」
「あっ、そうだった。()()()()()()()()()!」

 チェルシーとターニャは顔を見合わせてにやーっと笑う。

 教え子二人の視線がこそばゆく、リコリスは照れ隠しで「先生、でいいのよ。あなたたち二人の教師だったことは間違いないんだから」とちょっとかしこまって告げた。

 そんな三人のやりとりには興味がなさそうに、オーランドがさっさと腰を下ろす。妹二人にからかわれるのが嫌なのだろう。




 オーランドが「恋人」を伯爵夫妻に紹介した時、それはもう仰天された。

 息子が家庭教師に手を出したから――ではなく、リコリスの変貌ぶりに、だ。

 真面目だけが取り柄そうな地味なおさげ髪の少女が、清楚なドレスに身を包み、化粧を施せばあら不思議。

 亜麻色の髪をふんわりと結い上げ、どこに出しても恥ずかしくないような知的で品のある美少女が出現したのだ。

 伯爵邸までついてきたロクサーヌは密かに鼻高々で、リコリスはただただ肩身が狭く、オーランドの横でちんまりと身をちぢこめていた。

 反対されるかと思った二人の交際は、リコリスの生真面目さによってオーランドが自らを見直し、生活態度を改めたことと。

 伯爵夫人と仲の良いロクサーヌがリコリスの後見を務め、形式上は男爵家の養女となることで、貴族社会からも大きな偏見の目で見られることなく婚約することが出来た。

 周囲に認められたことはもちろんだが――リコリスにとっては、オーランドが父に「お嬢さんを僕に下さい」と頭を下げに来てくれたことが何より嬉しかった。

 今まで見たことがないような真摯な態度を取るオーランドと、寂しいから時々は家に顔を見せに帰ってきてほしいという父の本音にじんとしたりして。(後日、二人の出会いが仮面舞踏会であると知った父は怒ってロクサーヌを問い詰めていたが、ロクサーヌはどこ吹く風だ。もちろんリコリスも怒られた)

 仮面が無くても、オーランドの隣に立てることが信じられないと思っている。





(こんな風にオーランド様とピクニックをするなんて……)

 ピクニックという、のどかで平和な単語とは無縁そうな場所にいると思っていた相手と、花を眺めながら紅茶を飲む。

 冷たく当たられていた頃は考えられない。

 オーランドの態度の変化も、リコリスの立場の変化も。あの頃の自分が知ったら、仰天するに違いない。

(青空の下なんて似合わないと思っていたのに、意外とそうでもないかも……)

 カップのふちからオーランドの精悍な顔を盗み見ていると、切れ長の瞳がリコリスの姿を写し、どきりと鼓動が跳ねた。

「なんだ。じろじろ見て」
「えっ、いえ、なんでも……」

「ふふふっ、お兄さまに見とれてたのよね~? おねえさま」

「ち、違いますよ!」

 照れ隠しに紅茶を呷ると舌を火傷した。
 そこへ、周囲で野花を摘んできたターニャがやってくる。

「ねえ先生! 花冠ってどうやって作るの?」
「花冠ですか? それなら、白詰草をベースにするんですよ」

 下生えにもなっている小花は茎が細いため、丈夫な白詰草と共に編む必要がある。
 リコリスは立ち上がると、白詰草が群生している場所へと下った。オーランドとチェルシーまでもがぞろぞろとついてくる。

「この花?」
「はい。こうして……」

 ぷち、と茎から白い花を手折り、片方の花と茎の境目にぎゅっと巻き付けていく。その繰り返しだ。白詰草の茎は丈夫なので、強く引っ張っても千切れない。そこにターニャの摘んできた花をところどころに編み込むと愛らしいアクセントになる。

 リコリスが手際よく花を編んでいくのを見た二人は、さっそくリコリスを真似て白詰草に手を伸ばしはじめた。

「向こうにピンクの花があったわ」というターニャについてチェルシーも立ち上がり、リコリスとオーランドは束の間二人きりになる。
 隣に座ったオーランドは、手伝いのつもりなのか適当に花を手折ってリコリスに渡した。

「白詰草の花言葉とやらは?」
「『幸福』とか『約束』ですけど、『復讐』という意味もありますね。まあ、愛情の裏返しというか」

「……お前、エトランジェに白詰草の仮面で来ていなかったか?」
「花冠と同じで、他の花を編むのに丈夫だからですよ。他意はありません」

「どうだか」

 ふん、と意地悪な顔をしたオーランドが、クローバーを寄こした。
 良くある三つ葉ではなく、幸運の象徴とされる四つ葉のクローバーだ。手持ちぶさたな時間に見つけたらしい。

「四つ葉! 珍しいですね」

 そう言って手にとろうとしたリコリスの前から、ひょいとオーランドがクローバーを遠ざける。

「四つ葉のクローバーの花言葉は?」
「……四つ葉のクローバーの花言葉は……」

 リコリスが答える前からオーランドは笑っていた。

 答えられないのか? という笑いではなく、オーランドはすでに答えを知っている笑みだ。

 意図に気付いたリコリスは赤くなった。……もしかしてこの人、かなり花について勉強してきているんじゃないだろうか。

「……『私のものになって』、です」

 その愛らしい外見にまったく似合わない、俺様な花言葉。
 差し出すオーランドにぴったりだ。

「受け取ってくれるか、……リコリス?」

 意地悪そうな微笑みと共に向けられる甘い眼差しは、こんな雑草すら宝石に変える。はい、としおらしく答えると唇を奪われた。大胆にも触れられた舌先が、ちょうど先ほど火傷した部分に触れ、ぴりっとした痛みが走る。

 気づいたオーランドが低く笑った。

「素直に見惚れているといえば火傷なんかしなくて済んだものを」
「み、見惚れてませんし」

「可愛げがない」
「知ってます」

「だが、その可愛げのないところが可愛い」
「⁉」

 そうして再び口付けられる。甘く、深くなるキスのせいで、リコリスの手から花冠がぽとりと落ちた。

(こんな昼間から、元家庭教師として失格だわ……)

 でも。真面目ぶったところで、レディ・バイオレットとして恋の駆け引きをしてきた部分もリコリスの持つ性格の一部なのだ。

 リコリスは目を閉じてオーランドの首に手を回す。遠くで驚きの悲鳴を上げる教え子たちの声を聞きながら、白昼堂々の情熱的なキスを交わし合った。


fin.
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