【短編】代筆の恋 –お嬢様のふりをして婚約者に手紙を書いています–
*
使用人にしては字がきれいだ、と褒められた私は、十四歳で雇われてすぐにメアリーお嬢様付きに抜擢された。同い年で気安いからという理由でお声かけくださったけれど、同い年には見えないくらいメアリー様は美しい少女だった。
艶のある亜麻色の髪に、アメジストのような紫色の瞳。
肌はきめ細やかで瑞々しく、水仕事で荒れた私の手とは比べ物にならない。
人形のように愛らしい主人は、ある日「ケイト、今から話すことは誰にも秘密よ」と顎の下で切りそろえた私の赤毛に顔を寄せ、そうっと耳打ちした。
私、恋人がいるの。
ええ、存じ上げております。婚約者のエリオット様でしょう?
当然のことのように返した私に、メアリー様は赤く色づいた唇を歪ませて笑った。大人びた少女だと思っていたけれど、蠱惑的な笑みはすでに「女」のものだった。
違うわよ。お父様が勝手に決めた婚約者のことじゃなくてね――……
*
「メアリー様、ケイトです。エリオット様へのお手紙を書き終えましたので、ご確認いただけますか?」
ノックをしても返事がない。
私は皺にならないようにお仕着せのポケットに手紙を忍ばせると、屋敷の裏口へと向かった。
日が当たる表玄関はまだましだが、北側の廊下は耳がキンと冷えてしまうくらい冷たい。用もないのに外に出たがる使用人はほぼおらず、屋敷の裏手はまず人が来ない。恋人が忍んで会うには絶好の隠れ場所だった。
息を殺して、音を立てないように裏口の扉をほんの少しだけ開ける。
木の幹に背を預けている亜麻色の髪の令嬢の姿が見えたところで、私はドアノブを握りしめた。
「っ、はぁ……。離れたくないわ、アイザック」
「僕もだよ、メアリー……」
ちゅっ、ちゅっ、と口づけの音が何度も聞こえてくる。愛してる、別れたくなんかない。熱に浮かされたように囁き合い、頬を上気させて見つめ合う様子が目に浮かぶようだ。
冷えきったドアノブを握っているせいで指先の感覚がなくなってきた。
気づかれないように扉を閉め、私はメアリー様の部屋へと踵を返す。
戻ってきたらきっと身体が冷えていらっしゃるだろうから――部屋を暖かくして、お飲み物と、ブランケットも出しておかなくちゃ――頭の中で段取りをしながら、私は泣きたくなる気持ちを必死に飲み込んだ。
子どもの頃に婚約者を決めてしまうのは、貴族にとって珍しくもない話だ。
お二人が会ったのは、エリオット様が七歳、メアリー様が五歳のときに一度きりらしい。
以来、エリオット様は十年間ほどリンデン地方に留学しており、その間は文通でのやりとりをしていた。とはいえ、ろくに顔を見たこともない婚約者より、すぐ側で愛を囁いてくれる相手に夢中になってしまうことは仕方のないことだろう。
十四歳の時に、私はメアリー様から「恋人がいる」と打ち明けられたのだ。
地方貴族の、あまりぱっとしたところのない青年だったが、メアリー様よりいくつか年上なだけあって、甘い言葉を囁くのが上手で、まめにプレゼントや花を贈ってよこした。
互いに婚約者のいる身、というのが余計に恋心を燃え上がらせたらしい。
メアリー様はすぐにアイザック様と言う恋人に夢中になり、エリオット様から届く手紙の返事は遅れがちになった。好きでもない相手に割く時間がもったいないと思うようになったのだろう。
――ねえ、ケイト。だから代わりに、エリオット様への手紙を書いて欲しいの。
――大丈夫、ケイトの字は私の字に似ているからバレやしないわ。
――お願いよ、私、このまま、お父様が決めた相手と結婚するなんて嫌。だけど、いきなり手紙を送らなくなったら、変に思われてしまうでしょう?
そうして二年。私は、メアリー様のふりをしてエリオット様と文通を続けている。けれど……。
『メアリー、風邪をひいたりしていないかい? 少しでも喉が痛いと思ったら、はちみつとレモンをたっぷり入れた湯を飲んで眠るといい。……これ、うちのじいやの口癖なんだ。まったく、いつまでも子ども扱いで参ったな……』
『父と一緒に、稀代の名建築家ドーキンスが設計した橋を見に行ったんだ! 本当に素晴らしかった。いつかきみにも見せてあげたいな』
『こちらで咲いたデイジーの花を押し花にして贈ります。本当はきみの亜麻色の髪に差してあげたいけれど、それはいつかの未来に取っておくね』
エリオット様からの優しい手紙が来るたびに、私は心が痛んだ。
この人を騙していることに。そして――この言葉が「ケイト」に向けられたものだったらどんなにいいだろう、と。
叶わない恋だ。
名前だけしか知らない男性。それも、主人の婚約者に――私は、恋をしている。