【短編】代筆の恋 –お嬢様のふりをして婚約者に手紙を書いています–

 ***


「ええっ、エリオット様がいらっしゃる⁉」

 メアリー様が大声を上げた。
 娘の頓狂な声に、御父上であるウィンセンブルク伯爵は顔をしかめる。
 朝食後、書斎に来るように、と呼び出されたメアリー様は嫌な予感がしたらしい。私一人だけを伴って伯爵の部屋に入った。

 そこで聞かされたのは、婚約者であるエリオット様がこちらに訪ねていらっしゃるとのことだった。――それも、今日!

「急すぎますわ! そんな……。急にこちらに帰っていらっしゃるなんて……」
「昨日のうちに伝令を出していたそうなのだが、悪天候のせいで連絡が遅れたそうなのだ。数日この屋敷に滞在されたあと、またリンデンに戻られる。……くれぐれも失礼のないように」

 このウィンセンブルク家より、エリオット様の家の方が格上だ。
 朝から使用人たちは大わらわだった。この部屋を出たら、メアリー様の身支度も入念に整えなくてはならない。
 ただでさえ好意のない相手なのに、自分の予定を乱されたメアリー様は唇を尖らせていた。エリオット様が滞在されるなら、アイザック様との逢瀬はしばらく無しだ。
 そんな態度を見抜いた伯爵は冷たい声を出した。

「メアリー。あの男とは別れなさい。分かっているな?」
「……あの男? なんのお話ですか、お父様」
「とぼけなくても分かっている。お前がこそこそと男と会っているということは知っているぞ。子どものままごとだと思って放っていたが、お前はエリオット様に嫁ぐ身。今後、エリオット様以外の男と会うことは禁ずる」
「……っ!」

 メアリー様は唇を噛みしめた。
 しかし、何の話だととぼけた手前、表立って反論することはせず、踵を返して部屋を出ていく。私も慌てて伯爵に一礼して後を追いかけた。

(伯爵がおっしゃるとおりだわ。婚約者がいるのに別の男性と会っているなんて、エリオット様の耳に入ったら大変だもの……)

 だけど、ほんの少しだけ、私はメアリー様に同情してしまった。
「……ままごとなんかじゃないわ」
 怒ったようにずんずん歩くメアリー様の後ろを、私は黙って追いかける。

 好きでもない相手に嫁がなくてはならないメアリー様。
 好きなのに想いを伝えることすら叶わない私。
 どちらも不幸で、どちらもかなしい。


 *


 メアリー様は……さすが、貴族の令嬢だった。
 いつまでもぐずぐずと文句を言わず、ドレスに袖を通し、鏡の前に立つ頃には優雅な微笑みを浮かべて武装していた。それが彼女の務めだからだ。

(……私も気持ちを切り替えなくちゃ)

 これからお会いする相手は、メアリー様の夫になる相手。
 あの手紙のように細やかで、優しい青年なのだろうか。春の訪れのように柔らかな声を想像してしまう。だめだと分かっているのに、どんなお相手なのだろうかと胸を膨らませてしまう。頭を振ってそんな妄想を打ち消した。

 午後。
 従者や使用人たちを伴って現れたエリオット様は――とても、眩しい人だった。
 ブロンズの髪に、湖のように澄んだ瞳。
 明るい笑顔を浮かべ、さっとメアリー様の前にひざまづいてみせたのだ。芝居がかった仕草で手の甲に口づけを落とせば、メアリー様は真っ赤になる。

「ああ、メアリー! こんなに美しくなっていて驚いたよ! 元気にしていた?」
「えっ、ええ……。エリオット様もご立派になられて……」
「本当? そう見えているなら嬉しいな」

 そう言ってメアリー様を軽く抱きしめる。
 突如現れた見目麗しい婚約者にメアリー様は真っ赤になっていた。

「照れているの? 可愛いね」
「ま、まあっ、子ども扱いしないでくださいませ」

 エリオット様に微笑まれたメアリー様はツンとした態度を取ってみせた後、潤んだ瞳で婚約者を見上げて笑う。
 恋をしている顔だ。
 十年ぶりにあった婚約者が素敵な男性で嬉しい、とその表情が物語っている。演技ではないだろう。
 服装も所作も都会から帰ってきて洗練されているエリオット様に比べると、アイザック様はさぞかし野暮ったく見えるに違いない。私はアイザック様に密かに同情してしまった。

(エリオット様……。とても素敵な方だわ。でも、なんとなく手紙とはイメージが違うかも……)
 勝手に穏やかな男性をイメージしていたが、ダンスでも踊っているかのようにメアリー様をぐいぐいリードしていく姿はちょっぴり軽薄そうにも見える。
(……なんて、所詮は私の幻想だったってことよね)
 がっかりしたなんて、結局は負け惜しみにしかならない。

 これで良かったのだ。

 私が恋をしたのは、手紙の中のエリオット様。実際のエリオット様がどんな方だって結ばれることなんてありえないのだから、想像とかけ離れていてくれたほうが諦めもつく。
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