きみは溶けて、ここにいて【完】
「文子さん」
約束の時間の数分前。
不意に、横から声をかけられた。
控えめな声。
それでも、喧噪の中、真っ直ぐに、鼓膜へ届く。
今まで改札をじっと見ていたけれど、そこに待ち人の姿は一向に現れなかった。
それなのに、文子さん、なんて、突然、横から名前を呼ばれたものだから、吃驚する。だけど、すぐに、驚きは感喜に変わった。
ゆっくりと声の元へ顔を向ける。
そこには、薄暗い表情をした彼が、立っていた。
その薄い唇が、「待たせて、ごめん」と動く。
思わず、わあ、と震えるような声を出しかけて、慌てて、口を噤んだ。
きゅ、と目の奥に熱が生まれてしまう。
首を何度も横に振った。
猫背の人が、目の前にいる。
また、会えたんだ。影君に。
可能性は、0パーセントじゃなかったんだ。
まずは、謝りたかった。逃げ出してごめんなさい、とちゃんと言いたかった。