鵠ノ夜[中]
『っ、……知、らなかったの』
電話の向こうで、さっきまで虚勢を張っていた声は、震えて涙混じりになる。
知らなかった?と反芻した雪深の声は、子どもをなだめるかのように優しかった。
『最初は……普通の、相手、で。
"次の客にコレを渡してほしい。中身は見ちゃダメだよ"って言われて、封筒を渡されて……』
最初は中身が薬だなんてこと、彼女は知らなかった。
ただ"渡してほしい"と頼まれ、それを信じて次の客に渡してしまったらしい。その封筒を渡してくる相手は、不定期に彼女とコンタクトをとっていた。
『その人と会ったあとは……絶対、封筒を渡した人からアポが入るの。
2回ならまだしも、3回以上それが続いて、なんか変だと思ったから……』
こっそり彼女は封筒の中身を見た。
まるで海のように透き通ったブルーのカプセルが幾つか。綺麗、と思えるのはその見た目だけで、中身は過剰に摂取すれば命を落とすことも容易い。
彼女は、自分が薬を渡すルートにされていることに気がついた。
そこで、ある日いつものように薬を渡してきた男に「これは何なんですか?」と尋ねた。すると。
『楽しくなるためのおくすりだよ、って。
……次から行為ナシでお金は2倍渡すから、いつもみたいにこれを渡してきて欲しい、って頼まれて、』
今もまだ、彼女はそこから抜け出せない。
幼い女の子が自分を売っているというその弱みに漬け込み、必要としているお金を与えることで、そこから離れられなくする。
挙句、こうやって自分を売ることで稼いでいる子たちは、当然だけれど誰にもそのことを話せない。
……だからこそ、口止め料なんて渡す必要もなく、ただ言いなりになるしかなかった。
「……まともな人間のやることじゃないわ」
すべて話し終えると、電話の向こうで女の子は泣き出してしまった。
こちらに連れてこられた彼女も、泣きそうな顔で下唇を噛んで。
『……じゃあ、今から俺が助けてあげようか』
雪深が、わたしのところへと女の子を誘導する。
それを確認してから雪深との通話を切り、彼女の方へと向き直った。