鵠ノ夜[中]
──"わたし"、だったからだ。
険悪になる、すべての原因は。険悪な兄弟喧嘩のスタートは、わたしが櫁に懐いて、憩には懐かなかったことだったからだ。
雛乃ちゃんが、海に行ったあの日言ってた。
憩はわたしを振り向かせるためにありとあらゆる手を使ったのだ、と。一種の洗脳だって。
「櫁は約束通り、ずっと一緒にいるのね」
「っ、」
「たとえあなたが、誰かを選んで結婚したとしても。
……変わることなく仕えるんでしょうね。あなただけの、使用人として」
どう、して。
どうして、そこまでしてくれるの。小豆が幼い頃にしてくれた約束を、わたしは覚えていなかったのに。
わたしを泣き止ませるためだけの、簡単な口約束。当の本人が覚えていないのだから、彼もなかったことにすればいいだけの話なのだ。
なのに、どうして。……どうして、彼は。
「櫁は、きっと世界中のどこを探しても。
雨麗よりかわいい女の子なんて見つけられないはずよ」
「、」
「ふふ、勝手に初恋の話をしたことを知られたら、きっとあの子に怒られるわね」
ほら泣かないの、と。
お母様に指で涙を拭われる。されるがままにジッとしていたら、お母様は「ねえ雨麗」と、とても穏やかな声でわたしを呼んだ。
「あなたは確かに唯一あの家を継げる子よ?
だけどその前に、ひとりの女の子じゃない」
「お母様、」
「憩のことはあれだけ好き好き言ってたでしょう?
……怯えなくてもあの子はずっとそばにいてくれるわ」