鵠ノ夜[中]
さすがに、このまま部屋にもどって彼女と顔を合わせる気にはなれない。
組員に適当に言い訳して、15分後に指定した部屋で胡粋が待っているから来てほしいと伝言した。──そこで、彼女に予定通り見せつけるだけ。
「……これであきらめてくれなかったら、本当に厄介なんだけど」
「でもまあ、自分で蒔いた種なんでしょう?」
「いや、それがさ。
突然好きって言われるようになったし、俺もなんで菓に好かれてんのか正直わかんないんだよね」
好かれるようなことしてないんだけどな、と眉間にシワを寄せる胡粋。
彼の額に触れて「むずかしい顔してる」と言えば、彼はわたしの手首を掴んで顔を寄せた。
「見せつけるリハーサルしようよ」
……リハーサルって。
ただ単にキスするだけでしょ?という疑問は、早くも"リハーサル"らしい彼のくちびるに呑み込まれた。
「、」
どうせ、胡粋がキスしたかっただけだ。
肩を引き寄せるようにして掴まれ、やわらかいキスに溶かされる。いつも彼が部屋に来るときはどちらかといえば積極的なキスを、わたしも返してあげるけど。
「どしたの……今日は大人しいね」
揶揄うでもなく、ただ見たままに言った、ように胡粋がそう口に出す。
いきなりされたんだからべつに乗り気じゃなくたっておかしくはないんだけど。指を伸ばして、一粒ダイヤに触れる。
「なんとなく、よ。
菓ちゃんは悪くないのに失恋させるのもなんだか、って気分だし」
小豆の部屋なんかもある、使用人の自室の並ぶ廊下。
その隅の空き部屋のベッドの上で。彼を見つめれば胡粋は「そうだね」と小さくつぶやいた。
彼にだって、菓ちゃんを傷つけてしまうという自覚はあるらしい。