鵠ノ夜[中]
ああ。つまりはいつものお遊びね、と。
身を乗り出して、彼のくちびるを奪う。そのまま彼の手から書類を抜き取ると、空いた手でゼロがわたしを引き寄せるから、口づけは必然的に深くなった。
その瞬間、脳裏に彼の顔が浮かんだけど。
これも取引だと甘ったれた気持ちを掻き消し、離れる途中で「気逸らしすぎ」と彼は楽しげに笑う。にくたらしい男だ。
「どうせ彼のことでも考えてたんでしょ」
「好きに想像してちょうだい。
……情報どうもありがとう。それじゃあ」
「ああ。……今回はこれで見逃してあげるよ」
個室のスペースを出て、聞こえたゼロの言葉に舌打ち。
嫌味を込めて彼の分まで支払いを終えて店を出ると、カツカツと夜道を歩く。この時間にひとりで歩いたなんて小豆に知られたら怒られるだろう。
……ここ最近は彼も仕事が忙しいのか、顔を見てないけど。
「……、」
急ぎ足が、自然とゆるむ。
繁華街とは反対の人気のない道を進み、はやくここを抜けようと近道になる真っ暗な細い路地に入った瞬間、背後から足音が聞こえた。
まずい。
誰かに、つけられてる……?
街灯の明かりがあれば顔を確認できるのに、真っ暗なここじゃそれは叶わない。
どうしようかと内心焦る気持ちを抑えて、足音を立てずに急ごうと思ったけれど、今日に限ってピンヒールだ。
家に帰る前に、御陵の事務所に寄ってこの書類を渡すつもりだったのに。
事務所までは約5分の距離。走ったって相手が男なら簡単に追いつかれるだろうし、なんとか御陵の事務所の近くまで逃げ切るしかない。
でもこの路地を抜けたらそれこそ人のいない場所に出てしまうし、隠れる場所も多いから、連れ込まれたらどうしようもない。
そうなれば本当に、小豆に怒られる。
「雨麗様!」