契約結婚は月に愛を囁く
 私は何も答える事ができない。

 彼女は優しく微笑んで、そんな私に静かに話す。

「あのね、娘がもうすぐ子供を産むの。 男の子かしら、女の子かしら。 娘が幼い頃は飴細工が好きでね、お小遣いで買った甘くて美味しいそれを私の口にポンと入れてくれたのよ。 その時の笑顔がとても素敵な可愛い子だったわ。 でもね、私はそんなあの子に取り返しの付かない過ちのせいで酷く傷付けてしまった。 言葉は凶器なのよ。 だからもう、私のあの子はどこにもいないの。 今いるあの子は私が愛したあの子の代わりに神様が遣わした贈り物なのかもしれないわ」

 彼女は遠い記憶を遡って、愛おしそうな顔をする。

「私も、もうすぐ結婚して子供を産むのです……」

 懐かしい彼女の顔を見ながら、これが最後なのだと心に誓った。

「子供が産まれたら、決して離しては駄目。 愛しているのなら、その手で抱き締めてあげて」

 彼女は私の手を取って、その嗄れた両手で包んでくれた。 とても温かくて懐かしい、記憶。

 彼女は去り際に言った。

「愛してるわ。 娘に会ったら、そう伝えて下さいな」

 私の容貌は幼い頃とはあまりに違いすぎる。 もしかしたら私だと気付かないままだったかもしれない。

 それでもきっと、これでいいのだと思った。

「さようなら、お元気で。 お母さん……」

 その背中に小さく僅かに呟いて手を振ると、彼女は振り返った。

「幸せにおなりなさい」

 失った代償の大きさに気付いてしまったのは、やはりこれも運命だからだろうか。
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