契約結婚は月に愛を囁く
 馬車に揺られて出て行く時の事は何も覚えていない。
 きっとこれは私の運命だったのだ、遠い意識の片隅でそう思った以外は。

 お父様に連れられて別荘で暮らし始めて、約一ヶ月。

 もう戻る事はないのかもしれないとさえ考えた。
 それでもカークス様は途絶える事なく、文を毎日書いて下さった。
 まるでそれは恋文のように。
 そしていつものように庭園を眺めながら思ったのだ。
 あぁ、カークス様の元へ帰りたい、と。

 懐かしさは恋しかったからだろうか。
 馬車の窓から見えるそこが、私の帰りを待ち望んでいたように見える。
 玄関ポーチの前に立つジョージが少し痩せた気がするのはきっと、私が頼りないからだ。
 久しぶりの執事姿に涙がこぼれそうになる。

「メリル様、お帰りなさいませ」

「ジョージ、ただいま帰りました。 長い間の留守ごめんなさいね」

 ジョージも目に涙を浮かべ、それを堪えながら言う。

「無事のお帰りを安堵致しております。 執事として何も出来なかった私が、こうしてメリル様をお迎えするなんて……」

「ジョージ、貴方の顔を見られて本当に良かったわ」

「私も同じ気持ちでございます」

 きっと私のいない間、色々な事があったのだろう。
 ジョージは聞かせるつもりはないだろうが、再び新たな婚約者の日々が始まるのだ。
 それだけでいい。

「さぁ、カークス様が首を長くしてお待ちでございますよ」
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