Diary ~あなたに会いたい~
 小林医師が机の上で両手を組み、唸った。

 「実際のところ、我々にも真相は未だに
わかっていないので、事実としか言えないの
ですが……弓弦さんも、弓月さんのお義母さん
も、彼女の部屋のベランダから転落死している
んです。それもほぼ同時に。そして、彼女は
その部屋で意識を失って倒れていた。二人の
死が自死なのか、それとも事故なのか、真相
はわかりません。ただ、二人の死が弓月さんの
DIDの引き金になったことは間違いないんです」

 「転落死……二人とも?」

 僕はもう、あまりの事実の重さに唖然として
しまった。

 弓月の笑顔の下に、僕たちが出会う前に、
そんな衝撃的な過去があっただなんて……

 どうして想像できただろう?

 「ちょっと待ってください。真相がわからない
というのはどういうことですか?その部屋に弓月
さんがいたのなら、彼女が何か知っているはず
だ。警察だって、彼女から事情を聞くでしょう?」

 永倉恭介が身を乗り出した。

 僕は“警察”という言葉にどきりとして、唾を
呑む。冷静に考えてみれば、自死でも事故でも
なく、事件である可能性も否定できない。
 警察だって二人が死に至った経緯を調べて
いるはずだ。

 けれど小林医師はそのことには触れずに、首を
横に振った。

 「残念ながら、弓月さんはその時のことを
いっさい覚えていません。それどころか、彼女に
はお義兄さんやお義母さんの存在すら記憶にない
のです。これは解離性健忘というDID患者の中核
症状とも言えますが、人は極度のストレスや外傷
体験を受けると、自分の心を守るために通常とは
違う場所にエピソードを記憶してしまうのです。
だから記憶自体は脳のどこかに残されていても、
思い出すことはできない。ただ、この出来事を
きっかけに現れた“ゆづる”さんには、お義兄さん
の記憶が残っています。でも、なぜか彼女の記憶
にも二人の死の真相は残されていなかった」

 よほど、苦痛なことがあったのでしょうね。

 そう付け加えて小林医師が息をつくと、周囲の
空気がずしりと重くなった。
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