Diary ~あなたに会いたい~
「何があったんだ……いったい。ゆづるも、
覚えていないなんて」
永倉恭介が唇を噛む。
僕も同じことを思って、ふと父親に目をやっ
た。この人にも、何もわからないのだろうか?
ひとつ屋根の下にいながら、何も?
家族のことだ。
たとえその場にいなかったとしても、何か
心当たりはあるだろうに……。
「弓月さんと二人との間に何があったのかは、
わかりません。ですが、彼女は決まって夜9時
を過ぎるとスイッチングと呼ばれる人格交代を
起こします。おそらく、精神的負荷がかかった
時間が関係しているのでしょう。主人格である
弓月さんから交代人格のゆづるさんに替わって
いる間の記憶は、ほぼありません。しかし、
互いの人格の存在は認識しています」
小林医師は“二人”の状態を話し始めた。
小林医師によると、ゆづるという人格は弓月
が手放してしまった義兄の記憶を持ち、義兄の
“不在”も理解しているという。
それだけでなく、まるで義兄の存在を自分に
留めるかのように彼の名を名乗り、驚くべき
ことに義兄の画の才能までも受け継いでいた。
DIDの事例では、本人にはない特殊な技能
や才能を持つ人格が現れることがあるのだと、
説明した。
「弓月さんの場合は、交代人格に替わって
いる間の言動や出来事を、ほとんど記憶して
いないのが特徴です。しかし、“記憶がない”
という不安から抑うつ症状を起こしかけてい
ました。そこで、私が互いの人格による交換
日記を提案したのです。必要な情報を伝達し
あいながら、記憶の空白を埋める。交換日記
を始めたことで弓月さんは心の平静を保つ
だけでなく、別人格との平和的共存も可能に
なりました」
けれど、ある時からその共存に歪みが生じる。
-----原因はもちろん、永倉恭介だ。
義兄の記憶を持ち、義兄を愛し続けていた
ゆづるが、永倉恭介に出会ったことで、心の
バランスが崩れてしまったらしい。
「ゆづるさんは亡くなったお義兄さんを
想い続けると心に決めていました。けれど
お義兄さんに瓜二つのあなたに出会ったこと
で気持ちに変化が生じた。そして、そのこと
は日記を通して弓月さんにも伝わっています。
もしかしたら、潜在意識の中でお義兄さんに
対する罪悪感に苛まれていたのかも知れません」
あくまで、推測ですがね。と、
小林医師は顎をなでた。
再び沈黙が流れる。隣にいる永倉恭介は、
じっと一点を見つめたまま何かを考え、父親
は未だ顔を上げない。僕は膝の上で拳を握り
しめていた。
ふつふつと、心に込み上げてくるものが
あった。怒りだ。その怒りを誰に向ければ
いいのか、その時はまだ、わからなかった。
覚えていないなんて」
永倉恭介が唇を噛む。
僕も同じことを思って、ふと父親に目をやっ
た。この人にも、何もわからないのだろうか?
ひとつ屋根の下にいながら、何も?
家族のことだ。
たとえその場にいなかったとしても、何か
心当たりはあるだろうに……。
「弓月さんと二人との間に何があったのかは、
わかりません。ですが、彼女は決まって夜9時
を過ぎるとスイッチングと呼ばれる人格交代を
起こします。おそらく、精神的負荷がかかった
時間が関係しているのでしょう。主人格である
弓月さんから交代人格のゆづるさんに替わって
いる間の記憶は、ほぼありません。しかし、
互いの人格の存在は認識しています」
小林医師は“二人”の状態を話し始めた。
小林医師によると、ゆづるという人格は弓月
が手放してしまった義兄の記憶を持ち、義兄の
“不在”も理解しているという。
それだけでなく、まるで義兄の存在を自分に
留めるかのように彼の名を名乗り、驚くべき
ことに義兄の画の才能までも受け継いでいた。
DIDの事例では、本人にはない特殊な技能
や才能を持つ人格が現れることがあるのだと、
説明した。
「弓月さんの場合は、交代人格に替わって
いる間の言動や出来事を、ほとんど記憶して
いないのが特徴です。しかし、“記憶がない”
という不安から抑うつ症状を起こしかけてい
ました。そこで、私が互いの人格による交換
日記を提案したのです。必要な情報を伝達し
あいながら、記憶の空白を埋める。交換日記
を始めたことで弓月さんは心の平静を保つ
だけでなく、別人格との平和的共存も可能に
なりました」
けれど、ある時からその共存に歪みが生じる。
-----原因はもちろん、永倉恭介だ。
義兄の記憶を持ち、義兄を愛し続けていた
ゆづるが、永倉恭介に出会ったことで、心の
バランスが崩れてしまったらしい。
「ゆづるさんは亡くなったお義兄さんを
想い続けると心に決めていました。けれど
お義兄さんに瓜二つのあなたに出会ったこと
で気持ちに変化が生じた。そして、そのこと
は日記を通して弓月さんにも伝わっています。
もしかしたら、潜在意識の中でお義兄さんに
対する罪悪感に苛まれていたのかも知れません」
あくまで、推測ですがね。と、
小林医師は顎をなでた。
再び沈黙が流れる。隣にいる永倉恭介は、
じっと一点を見つめたまま何かを考え、父親
は未だ顔を上げない。僕は膝の上で拳を握り
しめていた。
ふつふつと、心に込み上げてくるものが
あった。怒りだ。その怒りを誰に向ければ
いいのか、その時はまだ、わからなかった。