Diary ~あなたに会いたい~
 「治るんですか?」

 突然、僕はくぐもった声で小林医師に訊いた。

 「治るんですよね?弓月は」

 小林医師が眼鏡の奥の目を細める。

 隣から永倉恭介が鋭い視線を向けていたが、
僕は気付かないふりをした。DIDという病が
治れば、交代人格であるゆづるは消え、主人格
である弓月だけが残るはずだ。

 「それは、難しい質問ですね。DIDという病
は“人格の統合”だけが治療の最終目的ではあり
ません。交代人格は常に主人格の心を守ってい
る、いわば守り神のような存在なのです。
だから、その存在を否定したり、無理に排除し
たりすれば症状の悪化を招くことにもなる。
実際、弓月さんの病状はずっと安定していま
した。互いの人格を侵害せずに、上手く棲み
分けることで精神を保っていた。特に問題なく、
日常生活を送れていたのです」

 「棲み分けるって……弓月の身体はひとつ
しかないのに、別の人格が取って代るのを黙って
見ていろってことですか?それで治療してるって
言えるんですか?」

 僕は語気を荒げ、小林医師を睨んだ。



-------弓月は治る。



 ただ、ただ、その言葉だけが欲しかった。
 なのに、返ってきた答えはまるで真逆だ。

 「患者の病状を悪化させないことも、大切な
治療の一環です。あなたのお気持ちは十分察し
ますが、DIDは薬で治るような単純なものでは
ないのです。だから、治療者の立場としては
治るとも治らないとも断言できません。周囲が
この病を理解して、患者がストレスフルな生活
を遅れるようサポートする。それが、一番の
治療法なのです」



-----治るとも治らないとも、断言できない。



 小林医師の言葉は、とても納得できるもの
ではなかったが、僕はもう、それ以上何かを
訊ねる気になれなかった。

 糸の切れた人形のように椅子に身体を預ける。
 黙ってしまった僕を置き去りにして、小林
医師が話を続けた。

 無理に他の人格を呼び出そうとしたり、
現れた人格を否定したりしないこと。

 本人が苦痛に感じている記憶や出来事を、
いたずらに訊き出さないこと。

 そんないくつかの注意事項を簡単に告げると、
小林医師の話は終わった。





------それが、数時間まえの話だ。





 時折、遠慮がちにラウンジの前を通り過ぎる
看護婦の足音を背後に聞きながら、僕はすっか
り冷めてしまった紙コップを指で撫でた。

 ずっと、黙っていた父親が重い口を開く。
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