Diary ~あなたに会いたい~
第八章:月が輝く理由
 まだ面会時間があるからと、病室へ戻る
父親と別れクリニックを出た時には、雨上が
りの空が夜風を運んでいた。
 
 街灯に照らされた住宅街を、ひとり足早に
歩く。澄んだ風に背中を押されながら向かう
先は、たったひとつだった。






 「少し、いいですか?」

 遠野和臣がラウンジを飛び出して行ったあと
も、俺はその場に残っていた。
 まだ訊きたいことがある。そう伝えると、
父親は頷いて、向かいの席に浅く腰を下ろした。

 「ゆづるさんの、髪のことですが」

 すっかり冷めたコーヒーをひと口飲んで、そう
切り出すと、父親はああ、と目を細めた。

 「あれはウイッグですよ。あの通り、弓月は
髪を短くしていますが、弓弦が生きている頃は
長かったんです。どうやら、その方が似合うと
弓弦に言われたようでね……」

 そう言いながら、父親はあの写真を取り出して
俺に差し出した。やはりそうか、と得心しなが
ら、それを手に取って見る。

 俺の良く知るゆづるは、義兄への想いをその
まま投影したものだったのだ。

 亡き義兄の才能さえも受け継ぎ、主人格で
ある弓月の心を守っている人格、ゆづる。

 彼女の少し勝ち気な性格は、もうひとりの
自分を守るための虚勢もあるのかも知れない。

 「本当に、よく似ていますね」

 あらためて、写真の中の“自分”を見つめなが
らそう言うと、父親は複雑な顔をした。

 「これじゃ、弓月さんが目を覚ましても、
会うわけにはいかないな」

 なかば、独り言のようにそう言うと、父親は
窺うように俺を見た。

 「やはり、あなたは“ゆづる”の方の……」

 恋人か?という意味だろう。
 その問いかけに、俺は首を傾げて見せた。

 「“恋人”か、と聞かれると少し違う気もしま
すが……でも、彼女がそう思っていたなら、
俺は嬉しいですね」

 そう言いながら、ゆづるの想いが誰に向けら
れていたのかを想像する。
 胸が痛んだ。

 不思議と、遠野和臣に対する嫉妬心はな
かった。
 けれど、彼女は自分に、義兄の面影を重ねて
みていただけだったのかと、そう考えてしまえ
ば、自分と同じ顔のその男がどうにも羨ましく……妬ましい。
 不意に、父親が神妙な面持ちで言った。

 「あの、ひとつ、お話ししておきたいことが」

 「話……というのは?」

 俺は表情を止めて身構えた。
 しばし沈黙が流れる。

 「こんな風に弓月が意識をなくすのは、あの夜
以来なので……これからどうなるのか、いつ、
目覚めるのかも正直、わからないんですが……
前に、小林先生が言っていたことを思い出し
たんです。こうして眠っている間に“人格の
統廃合“という現象が起こることがある、と」

 「それはどういう……」

 「今までいた交代人格が消えたり、新たな人格
が出現したりする現象だそうです。私にも、詳し
いことはわからないのですが……もし、そういう
ことが起こった場合、弓月が目を覚ましても、
ゆづるの人格が戻らないこともあるんじゃない
かと」
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