Diary ~あなたに会いたい~
 “もう一人の自分”が知らない場所で酒を飲ん
だり、誰かと会っていたりしているのだ。
 出来ることなら少しでも記憶を手繰りたい
と思うのは当たり前かも知れない。

 「それで。恭さんは、どうするつもりなの?」

 「……どうするも何も」

 唐突にどうするのかと訊かれ、答えに窮して
いる俺を横目で見ながら、マスターは残りの酒
を一気に飲み干した。空っぽのグラスが少し
乱暴にテーブルを鳴らす。

 「普通なら、ここでやめるんだろうな」

 「まあ、そうだろうね」

 「戸籍上存在しない、架空の人格に惚れる
なんて馬鹿げてる」

 「ふむ。存在するのに、存在しない。幻の
ようだよね、彼女は」

 頓知のようなことを呟きながら、マスター
は顎に手をあて、天井を仰いだ。

 「それに、どうも俺は父親に良く思われて
いないらしいんだ。俺が亡くなった義兄に似て
いることで、彼女の病状が悪化することを気に
してるんだろうけど」

 俺はあの時の父親の顔を思い出した。
 出来ることなら、もう、関わらないで欲しい。
 そう、言っているようにさえ感じた。

 「それでも……」

 不意に、穏やかな声でそう言ってマスター
が俺を見た。目尻が優しくさがる。

 「忘れられないって、顔してるよ。恭さん」

 俺は目を見開いた。

 「もうとっくに、捕まっちまってるからな」

 マスターの口髭が悪戯っ子の笑みのように
歪む。その顔を見れば、もう、観念するする
しかなかった。
 俺は相好を崩した。

 「ああ。参ったよ。ほんとうに」

 口にした瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
 
 胸が痛むのは、始まったばかりの恋が、終わ
ろうとしているからかも知れない。
 
 まだ、愛し始めたばかりだというのに、
彼女は隣にいない。

 つい、この間まで腕の中にいたのに、もう、
二度と会えないかも知れないのだ。

 ツンと鼻先が痛んで、俺はきつく唇を結んだ。

 「やっぱり、ここに来て良かった」

 声が震えてしまわないようにするのに、少し
苦心した。そう、とマスターが笑って頷く。

 「でも、それを飲んだら帰ったほうがいい。
顔色が悪いよ。また、寝ていないんだろう?」

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