Diary ~あなたに会いたい~
 目尻のシワをいっそう深めて笑う。
 その笑顔に、どこか懐かしさを感じながら
も、僕は何を口すればいいかわからなかった。
 不意に、高田は姿勢を正して正座をすると、
真剣な顔をした。

 「今さら、突然やってきて、洗いざらい君に
話すのも僕の勝手なんだけど……このお金は
和子に返せなかったものだから、代わりに、
君に受け取って欲しいんだ。それと、家族に
なれないまま、ずっと、君たちに苦労をかけて
しまって、本当にすまなかった」

 額がテーブルにつきそうなほど、高田が頭を
下げる。
 僕は一瞬、戸惑い、身体を硬くしながらも、
手を伸ばして彼の肩に触れた。

 「やめてください。そんな風に、あなたが謝る
ことは何もないです。母も、全部承知の上であな
たといたんだし、僕も、あなたのせいで苦労した
なんて、思ったことないですから」

 高田がゆっくり頭を上げる。
 彼は少し驚いたように僕を見つめた。
 きっと、僕が彼に対して自分の気持ちを素直に
口にしたからだろう。何年も同じ屋根の下に暮ら
していながら、僕は、彼とまともに会話をした
ことがなかった。

 「それと、これは受け取れません。母はたぶ
ん、あなたに返してもらうつもりで、お金を
渡していたんじゃないと思うんです。だから、
母があなたにあげたお金を、僕が返してもらう
のも変な話だし……これは、しまってください」

 僕は封筒を高田の前へ戻した。
 すると、高田は、いや、と首を振って封筒を
手に取り、僕の手に握らせる。

 「これは和子に返したかったお金でもあるけ
ど、君に渡したかったお金でもあるんだよ。僕は
一緒に暮らしていながら、君に何もしてやれな
かった。そのことをずっと、今も悔やんでいる
んだ。だから、今さらかもしれないけど、この
お金を少しでも君の役に立つように使ってもら
いたい。たいした額じゃないが、将来の資金の
足しくらいにはなるじゃないか」

 ちら、と机の上の写真に目をやって高田が目
を細めた。そこには、弓月と植物園に行った時
のものがフレームに収めてある。

 僕は瞬時に表情を曇らせた。
 いま、一番触れて欲しくない話題だ。

 「先のことは、まだ何も決まってないし、結婚
するかも……わからないですから」

 明らかに暗い声でそう答えると、僕は高田の手
を封筒ごと剥がそうと、した。その指に硬いもの
が触れて、僕は彼の右手に目をやった。

 見覚えのある指輪が、薬指に白く光ってる。
 母と同じものだ。
 母の指輪は、僕が持っている。

 「ああ、これ……」

 僕の反応に、少し照れたように頬を緩めると、
高田は封筒と僕の手から離れて、指輪に触れた。

 「和子と結婚したら、左手に移すつもりで
いたんだけど。それも一生、叶わなくなっちゃ
ってね」

 「ずっと、つけるつもりなんですか?
その指輪」

 僕は意外そうに訊いた。

 高田はまだ50代半ばだ。
 これから先の人生をひとりで生きるのは、
ちょっと長い気がする。けれど、そんな僕の
心配をよそに、高田は誇らしげに頷いた。
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