Diary ~あなたに会いたい~
 ゆづるの寝顔を見る。
 すぅ、と静かに寝息をたてている彼女の頬は、
あの日、病院のベッドで見た時よりもさらに
青白く、まるで知らない女のようだ。
 俺は、ゆづるである証に触れるため、布団の中
に手を忍ばせた。

 左手を握る。
 確かに、第一関節の一部が硬くなっている。

 間違いなく、目の前に眠る女はゆづるだった。
 髪が短くても、俺を覚えていなくても、色鉛筆
を手に、鮮やかな風景を描くことがなくても……

 この世のどこを探しても、彼女は“弓月”の中に
しかいない。

 俺は、徐に色鉛筆が入った紙袋を取り出し、
彼女の枕元に置いた。

 これは、弓月には必要のないものだ。

 もし、人格の統廃合が起きて、彼女の中から
ゆづるが消えてしまえば、この色鉛筆は永遠に
使われることはない。

 そんな、虚しい予感に胸を締めつけられた
瞬間、ゆづるの言葉が脳裏に甦った。



------月が輝く理由を知ってる?



 太陽がなければ月は輝けないのだと、月は生ま
れた時からずっと、太陽に照らされているのだ
と、あの夜、ゆづるは話していた。

 そして、自分は月に似ているのだ、とも。

 けれど、本当に、ゆづるは太陽がなければ輝け
ない“月”なのだろうか?

 もしかしたら、弓月の方が彼女に照らされて
輝いている“月”なのではないだろうか?

 主人格を護る交代人格が存在しなければ、
その人が生きられないのなら……



------ゆづるが、彼女の中から消えることはない。



 「どうそ。冷めないうちに」

 突然、背後から声がした。
 いつの間に戻ってきたのか、父親が湯呑をひと
つ、机に置いている。そしてもうひとつ、盆に
残っている湯呑は、ベッドの反対側にあるナイト
テーブルに置き、父親はぺたりと床に座った。

 「ずっと、目を覚まさないんですか?」

 返ってくる答えを知りながら、俺は訊ねた。
 父親が頷く。じっと、ゆづるの寝顔を見つめた。

 「原因は、わからないんだそうです。脳波も
正常だし、身体もどこも悪くない」

 「いままで、こういったことは?」

 父親が首を振る。
 弓月の部屋から二人が転落死した時も彼女は
意識をなくした筈だったが、もしかしたら、
その時は、すぐに目を覚ましたのかも知れない。

 「余程、強いショックを与えてしまったの
かな」

 ため息をつきながらそう呟くと、父親は複雑な
眼差しで俺を見上げた。その視線を受け止める。
 俺は思い切って、口を開いた。
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