Diary ~あなたに会いたい~
 「弓月さんには、もう、会わせてもらえない
かも知れないと思っていました。彼女にとって
も、あなたにとっても、俺は厄介な存在でしょ
うから」

 父親が驚いたように俺を見る。
 どうしてそんなことを口にするのかわからな
い、と言った様子で、瞬きをした。けれど数秒
ののち、ああ、と声を漏らし微笑した。

 「どうやら、私はあなたに誤解を与えてしまっ
たようだ。確かに、あなたが弓弦に似ていること
は、弓月の心の傷を広げることにもなり兼ねませ
ん。それでも、私はあなたが“ゆづる”を想って
くれていることには、親として感謝しているんで
す。私にとっては、どちらも娘ですから。ゆづる
であっても、弓月であっても」

 予想していなかった父親の答えに、俺は口を
開きかけた。じゃあ、あの時、父親が俺に見せた
安堵の表情には、どんな意味があるというのか?

 二の句が継げず、父親の顔を覗き込んでいる
俺に、父親は目尻のシワを深めた。

 「でもまあ、あなたを見ていると複雑な気分
にはなります。弓弦に責められているような
気もするし、もうひとりの彼、遠野さんのこと
を考えれば……申し訳ない気持ちにもなる」

 「それは……確かに」

 あの表情の理由に合点がいって、俺は頷いた。

 複雑な思いが絡み合って見せた一瞬の表情で
あって、俺の存在を否定するものではなかった、
ということだ。

 「もうひとつ。不躾なことかもしれませんが、
訊いていいですか?」

 ナイトテーブルに置いてあった湯呑に手を
伸ばし、まだ白い湯気がのぼるそれに口をつけ
ている父親に、俺は訊ねた。父親が顔を上げる。

 「弓月さんの人格が一人ではないことを知り
ながら、あなたは、彼にそのことを伝えようと
しなかった。俺はともかく、何度もこの店に足
を運んでいるあの男になら、あなたから話を
するチャンスもあった筈です。こんなこと、
いつまでも隠しておけるわけがない。複雑な
ことになってしまう前に、本当のことを彼に
話しておこうとは思わなかったんですか?」

 責めているつもりは、なかった。
 ただ純粋に、そういう考えに至らなかった
のかを、訊いてみたかったのだ。

 真剣に、弓月との交際を進めているあの男
なら、当然、結婚も考えていただろう。
 こんな形で知る前に、すべてを知っていれ
ば……もっと、状況は違ったかも知れない。

 「それは……」

 “真実を話す気はなかったのか”と、問われ
た父親は、当惑したように一度開いた口を閉
じると、手にしていた湯呑を握りしめ、山吹色
の液体をじっと眺めた。

 そして、徐に言葉を紡いだ。

 「どんな人間にも、誰かを愛したり、愛され
たりする権利が、あると思うんです。親の勝手
な言い分かも知れませんが……私は、あの子が
心を病んでいるからといって、愛される権利
まで奪うことは、とてもできなかった。もちろ
ん、誰かと恋に落ちれば、いつか、こういう
ことが起こるだろうということは承知していま
した。それでも……ひと時でも、あの子が幸せ
でいられるなら、私はそれで構わないと思って
いたんです。その為に、誰が傷つこうと……
私は構わない。そういう、酷い人間なんです。
私は。だから……」

 「話さなかった……」
 
 父親が言う筈だった最後の一言を、代わりに
口にする。

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