Diary ~あなたに会いたい~
 それから数日間、僕は弓月のいない日常を、
ひとり淡々と過ごしていた。

 朝、起きて顔を洗い、母の仏壇に手を合わ
せる。線香の香りが漂う中で朝ごはんを食べて、
歯を磨き、仕事に向かう。

 陽の光に照らされた街の風景は何も変わら
ず、僕の視界を通り過ぎていく。
 流れる時間も、人々の息づかいも、何ひと
つ変わらない。

 弓月と出会う前の、僕の日常だった。



------不思議な感覚だった。



 こうして生活いると、大した苦しみもなく、
今までの人生に戻れるような気がした。
 なのに、ふとした瞬間、心の一部が足りない
ような、どこかに大切なものを置き忘れてき
たような喪失感に襲われる。
 弓月の柔らかな声や温もりを思い出すたび
に、僕は目を閉じて胸の痛みに耐えた。

 弓月のいない人生は、きっと、これから先
もこんな感じなのかもしれない。
 平穏で、静かな日常が続き、時々、胸が
痛む。けれど、それ以上の苦しみや悲しみは
何もなく、幸せで心を満たすこともない。

 もしかしたなら、またいつか、別の誰かと
恋をするのかもしれないけれど……

 そう考える度に、弓月の顔が心に貼り付い
て消えなかった。

 僕はずっと引き出しの奥にしまい込んでい
た、指輪を取り出した。プロポーズの言葉と
共に、彼女の左手に嵌めるはずだったそれは、
変わらぬ輝きを留めて、僕に問いかけてくる。




-----弓月が、僕だけのものじゃなくても、


-----弓月の心が、ひとつじゃなくとも、


 変わらぬ想いを、誓うことができるのか?

 僕は、彼女の前で、笑っていられるのか?

 何も、知らないフリをして?



 そんな答えの見つからない問いかけが、
頭の中をぐるぐると巡る。僕は小さな宝石箱
をポケットにしまった。

 家を出て、もう、すっかり暗くなった空を
見上げる。東の空に、白銀の満月が浮いている。

 ほんの数カ月前まで、僕は同じ夜空の下を、
世界中の誰よりも幸せな気持ちで、歩いていた。

 弓月と一緒に。

 今日はその道を、ひとりで歩く。

 真実を知ったあの日から、ずっと、避けてい
たその道を……僕はゆっくりと歩き始めた。






 人通りの少ない住宅街をしばらく歩くと、
ぽつりと小さな空間が現れた。“いこい公園”だ。
 緑の低いフェンスと、住宅の壁に囲まれたこの
公園は、子供が遊ぶには狭すぎて、昼間でもあま
り人がいない。
 夜になれば、尚更、人影が消えるこの公園は、
僕と弓月の隠れ家のようなデートコースだった。

 僕は古びたベンチに腰かけた。
 正面にある1本の街灯が、錆びたブランコを
ぼんやりと照らしている。こんな、どうしよう
もなく寂れた公園が、僕にとっては最高の場所
だった。
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