Diary ~あなたに会いたい~
それでも、空が茜色に染まる頃に出勤し、
また、夜空が曙色に変わる頃家路につくこの
仕事は俺に合っていたし、何より、いつか、
またこの店を訪れるかも知れない、ゆづるの
驚く顔を想像するたびに、作れるカクテルの種類
も増えた。
「じゃあ、お先に失礼するよ」
ラストの客を見送り、閉店作業をしている俺の
横に立って、マスターが手元を覗く。
業者への発注作業やらレジ締め、帳簿の記入な
ど、一通りの閉店作業を、今日から一人で任され
ることになっていた。
「お疲れ様です。俺もこの記入と発注が終わっ
たら、ちょっとカクテルの練習をして帰りますよ」
トントン、とボールペンの尻で帳簿を突きなが
ら、マスターを見る。数千種類もあるカクテルを
覚えるだけでも一苦労だったが、シェイク・ビル
ド・フロートなど、あらゆるカクテルの作成方法
も、閉店後に練習しなければならない。
中でも、比重の違う液体やシロップを、混ざり
合わないように重ね浮かべるフロートという技術
は、ゆづるが好んで飲んでいたカクテルのそれ
で、少しでも早く作れるようになりたかった。
「よく頑張るね。でも、しっかり睡眠はとって
くれよ。恭さんの顔色が悪いと、お客さんも心配
するからね」
俺は何人かの、客の顔を思い浮かべて頷いた。
働き初めてまだ日は浅いが、すでに何度か顔
を合わせた客もいる。
「大丈夫ですよ、俺は。マスターの方こそ早く
帰らないと。寝られる時間少ないんだから」
「だな。じゃあ、後は頼んだよ」
肩を竦めながら俺がそう言うと、マスターは
首にマフラーを巻き付けながら、ひらりと手を
振って店を出ていった。
ひとり残された店内で、そっとロンググラスに
バースプーンを添える。比重の重いリキュールの
上に、アルコール度数の高いスピリッツを、
ゆっくり、ゆっくり注ぎ込んだ。
バースプーンの背を伝って流れ込んだ液体が、
層を分けてリキュールの上に浮かぶ。二色の液体
が、混ざりあうことなくグラスの中で分かれた
のを見て、俺は静かに細い息を吐いた。
「できた」
無意識に頬が緩む。
嬉しかった。
何度も失敗したが、練習を始めてからの日数を
考えると、かなり上達は早い方かも知れない。
俺は顔を上げ、目を細めた。
「まだ出来上がってないじゃない。ほら、
もう一色」
目の前で頬杖をついて見守っていたゆづるが、
悪戯っ子のように笑んで、急かす。
きっと、急かす。天邪鬼なのだ。彼女は。
だから、いまここに、ゆづるがいたなら、
きっとそう言って笑うだろう。目の前の幻は一瞬
で消えてしまったが、俺はひとり満たされた気分
で、次のボトルを手に取った。
-----その時だった。
もう、鳴るはずのないドアのベルが、カランと
低い音させた。
どきりと心臓が跳ねて、手を止める。
マスターが忘れ物でも取りにきたのだろうか?
けれど、彼が店を出てから、もう1時間以上経つ。
俺は、薄暗い店内の入り口に立つその人物に
目をやった。
-------瞬間、世界中の音が消えた。
暗がりの中で、その人の長い髪が風に揺れる。
俺は、眩しさに目を細めながら、「お好きな
席にどうぞ」と、笑みを向けた。
また、夜空が曙色に変わる頃家路につくこの
仕事は俺に合っていたし、何より、いつか、
またこの店を訪れるかも知れない、ゆづるの
驚く顔を想像するたびに、作れるカクテルの種類
も増えた。
「じゃあ、お先に失礼するよ」
ラストの客を見送り、閉店作業をしている俺の
横に立って、マスターが手元を覗く。
業者への発注作業やらレジ締め、帳簿の記入な
ど、一通りの閉店作業を、今日から一人で任され
ることになっていた。
「お疲れ様です。俺もこの記入と発注が終わっ
たら、ちょっとカクテルの練習をして帰りますよ」
トントン、とボールペンの尻で帳簿を突きなが
ら、マスターを見る。数千種類もあるカクテルを
覚えるだけでも一苦労だったが、シェイク・ビル
ド・フロートなど、あらゆるカクテルの作成方法
も、閉店後に練習しなければならない。
中でも、比重の違う液体やシロップを、混ざり
合わないように重ね浮かべるフロートという技術
は、ゆづるが好んで飲んでいたカクテルのそれ
で、少しでも早く作れるようになりたかった。
「よく頑張るね。でも、しっかり睡眠はとって
くれよ。恭さんの顔色が悪いと、お客さんも心配
するからね」
俺は何人かの、客の顔を思い浮かべて頷いた。
働き初めてまだ日は浅いが、すでに何度か顔
を合わせた客もいる。
「大丈夫ですよ、俺は。マスターの方こそ早く
帰らないと。寝られる時間少ないんだから」
「だな。じゃあ、後は頼んだよ」
肩を竦めながら俺がそう言うと、マスターは
首にマフラーを巻き付けながら、ひらりと手を
振って店を出ていった。
ひとり残された店内で、そっとロンググラスに
バースプーンを添える。比重の重いリキュールの
上に、アルコール度数の高いスピリッツを、
ゆっくり、ゆっくり注ぎ込んだ。
バースプーンの背を伝って流れ込んだ液体が、
層を分けてリキュールの上に浮かぶ。二色の液体
が、混ざりあうことなくグラスの中で分かれた
のを見て、俺は静かに細い息を吐いた。
「できた」
無意識に頬が緩む。
嬉しかった。
何度も失敗したが、練習を始めてからの日数を
考えると、かなり上達は早い方かも知れない。
俺は顔を上げ、目を細めた。
「まだ出来上がってないじゃない。ほら、
もう一色」
目の前で頬杖をついて見守っていたゆづるが、
悪戯っ子のように笑んで、急かす。
きっと、急かす。天邪鬼なのだ。彼女は。
だから、いまここに、ゆづるがいたなら、
きっとそう言って笑うだろう。目の前の幻は一瞬
で消えてしまったが、俺はひとり満たされた気分
で、次のボトルを手に取った。
-----その時だった。
もう、鳴るはずのないドアのベルが、カランと
低い音させた。
どきりと心臓が跳ねて、手を止める。
マスターが忘れ物でも取りにきたのだろうか?
けれど、彼が店を出てから、もう1時間以上経つ。
俺は、薄暗い店内の入り口に立つその人物に
目をやった。
-------瞬間、世界中の音が消えた。
暗がりの中で、その人の長い髪が風に揺れる。
俺は、眩しさに目を細めながら、「お好きな
席にどうぞ」と、笑みを向けた。