Diary ~あなたに会いたい~
 花を選び始めた彼女が「新しい仏様ですか?」
と、振り返って尋ねる。肩口までは届かない、
艶やかな黒髪がわずかに揺れる。
 
 「はい」と答える僕に頷くと、一輪、また
一輪、と手に取って、器用に花を束ねていった。
 長いまつ毛に縁取られた瞳が、零れるような光
を映していて、僕は彼女の横顔を静かに眺めなが
ら、時が流れてしまうことを、ただ惜しんだ。

 「こちらで、いかがですか?」

 濃い緑と白のコントラストが涼しげな花束を、
すっと彼女が差し出す。
 しばし彼女に見惚れていた僕は、不意にその声
に意識を引き戻され、慌てて首を縦に振った。

 にこり、とまた笑って、彼女が透明のセロファ
ンを切り取る。黄色い光が、ゆらりと踊るその
セロファンで花束を包み込むと、彼女は一度レジ
台に置いた。会計を済ませ、財布をカバンにしま
い込んだ僕の手に、そっと花束をのせる。

 「ありがとうございました」と、レジ台越しに
彼女が笑う。咄嗟に、何か言わなくては、と、
思いを巡らせた僕は、不自然なほど真剣な眼差し
を彼女に向けた。けれど、考えた末に口をついて
出た言葉は、「また来ます」という、ありふれた
もので……
 ただの客のひとりに過ぎない僕が、ここにいる
理由は、もはや、何もなかった。
 僕は名残惜しい気持ちを振り切るように頭を
下げると、ポツリと雨が落ち始めた夜空の下へ
飛び出して行った。






-----翌日の昼休み。

早々とコンビニ弁当を平らげた僕は、ブラック
コーヒーを口に運びながら、固い花図鑑の表紙
を開き、目を落としていた。
狭い部屋の真ん中に、木製のテーブルが2つ合わ
せてあるだけの休憩室は、市立図書館の地下
1階、第一書庫の隣にある。中地下とも呼べる
その部屋の窓からは、図書館に出入りする人々
の足元だけがせわしなく見えて、日の光はあまり
届かない。

< 3 / 140 >

この作品をシェア

pagetop