Diary ~あなたに会いたい~
 「これ、いつものね」

 声がして横を向くと、マスターが隣のテーブ
ルをこちらに寄せて、カクテルを置いた。置か
れたグラスの液体は、3層に分かれている。

 「どうも」

 何も答えない彼女に代わって、俺はマスターに
微笑んだ。

 「いい画になりそうだね」

 マスターがスケッチブックを覗く。

 「そう?それは出来上がりが楽しみだ。
悪いね。席、二つも使っちゃって」

 「いや、構わないよ。どうぞごゆっくり」

 短いやり取りを終えると、マスターは銀の
トレーを手に、カウンターへ戻っていった。

 俺は小さく息をついて、ゆづるを向いた。
 相変わらず、彼女の瞳は俺を見ておらず、
その集中力に圧倒されてしまう。

 しばらくの間、大人しくモデルを務めていた
俺は、ふと、違和感に気付いて口を開いた。

 「もしかして、左利き?」

 もしかしても何も、右手にスケッチブックを
持って、左手に色鉛筆を握っているのだから、
間違いなく左利きだ。答えるまでもないと
思ったのか、彼女の返事もない。

 「ふぅん」

 俺はひとりで喋って、ひとりで納得した。

 ここで黙ってしまえば、永遠にこの沈黙が
続いてしまいそうで、寂しい。
 俺はゆづるの顔色を窺いながら、さらに
独り言を続けた。

 「確か、モネやゴッホも左利きだって、何か
に書いてあったな。有名な芸術家には左利きが
多いと聞いたことがあるし、もしかしたらキミ
は天才なのかもしれないね」

 ちら、と彼女の顔を覗いて、頷く。
 すると、独り言で終わるはずだった俺の言葉
に、ゆづるは手を止め、少々不機嫌そうに顔を
上げた。

 「ピカソも左利きらしいけど……もともと左
利きの人間が少ないから、目立つだけなんじゃ
ない?偶然よ」

 「まぁ、左利きは人口の10%くらいしかい
ないみたいだからな。でも、歴史上の偉人に左利
きが多いのも確かだし、偶然と決めつけてしまう
のも、つまらなくないか?俺は、君がそういう
才能の持ち主だと思いたいね」

 面食らったように、ゆづるが表情を止める。
 彼女の画を見て、才能だの天才だの言う人間
は、もしかしたら、俺が初めてなのかも知れない。
 けれどあの画を見たとき、俺は本当にそう感じ
たのだ。嘘はついていない。

 突然、彼女の表情がふっと緩んだ。
 初めて見る、笑みだった。

 「ほんとうに、可笑しな人。でも、そんなに
褒めてくれるなら、もっと集中していい画に
仕上げなきゃ。少し黙っててくれる?夜は短い
んだから」

 宥めるように言って、カクテルに口をつける。
 俺も何だか気恥ずかしくなって、肩を竦めた。

 「わかった。大人しくしているよ」

 コキコキ、と首を鳴らして壁の時計を見る。
 時刻は深夜の2時をとうに回っていた。
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